「 2016年08月 」一覧

「地図さんぽ」(香里園周辺)

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このシリーズ最後の地域、香里園周辺。

まず最初に香里園の由来を、、、

この地図の左端の真ん中辺りに「郡村(こおりむら)」という地名があります。
この「郡」という言葉は京阪電車のサイトでこう説明されています。

「豊潤な穀倉地帯として朝廷により管理・運営され、政治の中心となる役所『郡』が置かれた地。」

この郡村がたぶんそうであったように全国にこの様な「役所」があったのでしょう。そしてこの郡村はその役所の名残が名前として残って場所なのだと思われます。

そしてこの「郡村」に京阪電鉄が「郡遊園地」を作り、その後、西宮にある「香櫨園」という地名になぞらえてその遊園地を「香里遊園地」に変更し、この辺りをという地名に変えたそうなのです。
つまりは「香里園」という地名は京阪電鉄によって作られた、ということなのですね。

その郡村集落の名残は「郡元町」として今でも残っています。

さてその郡村の下に三井村という名前が見れますが、これは今でも名前が町名で残っていますし、この地図の三井村集落は「美井元町」という名前で残っています。

「元町」って言うのは昔の集落があった所、と言う意味合いが強そうですね。

また今の大阪市立高校や成田不動尊はこの時点(明治20年台)では存在しません。場所はどの辺りか現在の地図と照らしあわせた所、どう見ても元々池があった所に作られた、としか思えません。
つまり、容易に確保できる平坦な大きな土地は「池」を潰すことが一番手っ取り早い方法だったのかもしれませんね。

枚方二中と香里小学校のある位置は今の香里ケ丘けやき通りから香里園へ向かう道の脇に作られています。
この地図で見るとそこが谷筋になっており郡村まで続いているように見えます。
ということはこの谷筋に今の148号線(木屋交野線)が作られたのでしょうね。

ちなみに・・・

寝屋川では香里の事を「こうり」と発音し、枚方では「こおり」と発音します。
つまり香里園は「こうりえん」であり香里ヶ丘は「こおりがおか」なのです。


「地図さんぽ」(光善寺駅周辺)

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光善寺周辺には働き出して直ぐに、4年間ほど住んでいました。

僕が住んでいたのは恐らく「謎の池②」のあたり(笑)

僕が住んでいた頃も池はあったのですが、こんなに大きくなかったですので、もしかしてかなり埋め立てられたのかもしれませんね。

地名は「翠香園」といってこの地図上では影も形もありません。

この頃の地名では出口村、中振村、走谷村と現在の「町」になっていて、位置もそのままかと思われます。
ただ「蹉跎」というのは神社にその名前があるだけで、地名としてはこの地図上はありません。たぶん現在でも「蹉跎」という地名は無いんじゃないかな??

小学校や中学校にその名はあるのに地名にはない、というのは何だが不思議な気がしますね。

あと何故「光善寺駅」は「光善寺」なのか?

地名であれば中振村の中心ぐらいに駅があるので「中振」となってもおかしくなかったはず。
実は僕も光善寺駅周辺に4年間住んでいながら光善寺へは行ったことがありませんでした。
駅からは当然見えませんし、さほど近くにも無いし、そこに行くにはかなり複雑な経路を通って行かねばならないからです。
光善寺は浄土真宗の蓮如上人が開創したと言われており、そう言えば光善寺駅近くに蓮如上人のお墓の石碑がありましたなぁ、、そのあたりと何か関係があるのでしょうか?


今日の献血

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仕事をちょい抜けて久しぶりの献血なり。

しかし、、、またもヘモグロビン濃度が足りなくって400ml献血できず、成分献血になりもうした(しゅん)。

400ml献血するには最低でも13.0以上の濃度が必要。
いつもぎりぎりのところにいるんやけど、今回は12.2。

全然あかんやん、、、(しゅん)

成分献血するには心電図の検査がいるそうで、足首と手首、そしてお腹のところに何やら電極のちめたいものをペタペタと貼られている間、検査してくれる看護婦さんとちょっとお話。

「何でヘモグロビン濃度低いんでしょうね~」
「あぁ、もしかして運動とかしてはります?」
「えぇ、山登りとか、、、」
「ですよね~ランニングしてはる人とか低い人が多いですよ」
「あぁ、今朝ジョギングしてきました」
「ははは、私の知り合いの消防士さんなんか、めっちゃアスリートなんですけど、いつも11ぐらいしかないですよっ!!」

少し勇気が湧いてきた(笑)


精霊流し

母親は長崎の島原で生まれて、育った。

「島原から原爆って見えたん?」

まだ地理に明るくなかった僕は素朴にそう質問した。

「見えたよ~大きなきのこ雲がねぇ、、ぽっかり浮かんでるようにね」

昭和9年生まれの母、原爆が長崎の街を焼きつくしたその年にはまだ小学校の高学年だった。
まだまだ子供だった母にはその雲がいったいどう見えたのだろうか。

そんな母は末っ子の上、早くに両親をなくし、それでも沢山いた兄弟たちに囲まれてたくましく育ったようだ。とりわけ長兄の大治おじさんには歳が離れていたせいか特に可愛がられていたらしく、兄弟を語るときには必ず最初に大冶おじさんの名前が出てきたものだ。

兄弟と言っても7人兄弟だった母と大冶おじさんは10歳以上も年が離れていたはずなので、恐らく親のように心を寄せていたのかもしれない。

そんな大治おじさんが亡くなった年のお盆には家族で島原を訪れた。

島原の家は目の前に港があり、その港の先には有明海が大きく口を開けている。

夜、そこに向かって何艘もの精霊流しの船が多くの人によって担ぎだされていった。
僕たち親子は手持ち無沙汰にそれを黙って見ている。

そして小さな灯籠に火が灯され、海の中の彩りのようにあちらこちらから集まっては水の中を漂って流れていく。
それを見つめる人たちの思いを載せて、それらは海の向こうへと離れていく。

小さな魂が、海に帰っていくのだ、とふとそう思った。


汗の量

昨日一緒に山を歩いたT嶋くんとH野さんは顔からも上半身からも下半身からも汗をドバッとかくタイプで、ちょっと急な山を登ると風呂あがりのような状態になり「おいおい大丈夫か?」っていう感じなのですが、僕はどちらかと言うと顔はほとんど汗が出ずに上半身にしっとりかくぐらいなのですな。

どちらが良いのか、悪いのか、判断しかねるのですが(まぁ体質の問題だと思っておりますが、、)、真冬に電車に乗ってきたおデブちゃんが顔からしたたり落ちるような汗をかいているのを見たら、おデブちゃんじゃなくって良かった、、とホッとする。

しかし一体どれ位が人間の「適量」なのだろうか??

ちなみに数値的に言うと、T嶋くんは5kmランニングすると1キロ以上体重が落ちるらしいが、僕は4km走っても300gしか落ちなかった。1kmの差はあるが、誤差の範囲だとしたら、T嶋くんは僕の3倍以上の汗をかいてることになるんだよなぁ・・。

さてどうなんだろうか?汗の専門家おるかな?(笑)

『追記』

FB友達の鈴木さんが「体のプロとして・・・」としてこんなアドバイスをくれた。

汗を出す一番の目的は体温調整です。
自律神経が乱れている人ほど、体温調整が上手く行えずに、同じ行動でも多くの汗をかきます。
特に喫煙者のほとんどは、かなり自律神経が乱れていますので、すぐに汗をかく人が多いです。
あと、ポッチャリさんは痩せた人に比べると多くの汗をかきます。
これは、普通にしている状態でも脂肪の保温効果で、痩せた人が常にダウンジャケットや着ぐるみを着ているのと同じ様な感じですね(^o^;)

また、鍼灸師でもある鈴木さんは自身のブログでこんなん書いてました、と紹介してくれたのが実に的確!!

「体温と病気の関係」
http://ameblo.jp/nature-energy/entry-12179910591.html

この中で重要なところを抜き出しますと

暑い時に体から熱を放出して体温を下げたり、寒い時には体で熱を算出して体温を上げるのが『自律』なのに対して、エアコンなどにより、暑い時は周りの温度を下げて暑くない環境を作ったり、寒い時は周りの温度を上げて寒くない環境を作るのが『他律』です。

現代では、日中は職場で冷暖房完備、家に居る時も冷暖房完備・・・と、他律にまかせっきりの方が多く、自律神経が正常に機能していない方が余りにも多くいらっしゃいます。

簡単な実験ですぐに判るのですが、うちに来られる約8割の患者さんに、交感神経の過緊張がみられます。

特に、周りの誰もが汗もかいていないのに、一人だけ異常に暑がられる方や、みんなが心地よい涼しさを感じている時でも、一人だけ異常に寒がられる方は要注意ですよ!

らしいです!!


「地図さんぽ」(明治20年台 枚方駅~枚方公園)

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江戸時代、枚方は「枚方宿」と言って京都から大阪に向かう途中の宿場町であった。この地図で見るとオレンジで囲んであるエリアが枚方宿、もしくは枚方宿だった所だろうとわかる。僕らの子供の頃はこんな感じでズラッと小売の商店が並んでおり、昔の面影が残っていたものである。

この地図の当時では枚方村を中心にして三ツ矢村、岡新町村、田宮村、伊加賀村など現在では町名として残っている名前が「村」として存在していた。

その村の中心はいずれも平野部のところであり、等高線が示す通り、枚方宿の南側にはまるでリアス式海岸の様な地形が刻まれており複雑な地形だったことが伺える。

また現在の枚方市駅は枚方宿の中心に作られており、そこから枚方宿の南側に添って線路が引かれていて伊加賀村の少し北側あたりに枚方公園駅が作られている。たぶんその辺りの田んぼを潰して枚方パークが作られたんでしょうね~

さて、ここで注目したのは枚方中学の位置です。このマークが良くわからないのですが、もしかしてここは池じゃなかったのかと思われます。つまり池を潰して枚方中学を作ったのではないかと。
それとこの間、高低差学会で歩いた時に、枚方中学校横の階段を降りたところのスリバチ地形がありましたが、その地形がちょうどこの地図に載っていますね!!

この地図で鷹塚山遺跡の位置をここにしましたが、確か尾根道のところに有ったはずですがちょいと曖昧です(地図の見方を知らないというわな w)


京都一周トレイル北山西部コース

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今日は前々から行きたかった京都一周トレイル北山西部コースへ行ってきました。

約19kmちょい。

最初の坂はちとキツかったが、残りはさほどアップダウンも大したことなかったのでだいぶ楽だったかな。ちょうど中間地点に「山の家はせがわ」というロッジ風のレストランがあり、そこでまったり、、、。

でもここの「ウリ」はハンバーグらしく、お弁当を食べていていった僕たちは、その美味そうなハンバーグを横目で見ながらチューチューとアイスコーヒーを飲んでいたのでした(これも美味かったですよ、、そりゃ)。

そして高雄に降りてからは清滝川に沿って歩き、「紅葉の季節はめっちゃ美しいやろなぁ」といいつつ終点の清滝にたどり着いたのでした。

写真は「夜泣峠」で笑うおっさん(笑)

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キノコ度

最近「キノコ度」について考えている。

「この人はキノコ度何%なんだろか?」

なんて。

キノコ観察会や、キノコオフ会でおしゃべりしている時はもちろんほとんどがキノコのお話なんだが、普段そこに来ている人はどれだけキノコのことを考えているか?一日の内何時間キノコに関わっているか??

例えばK島さんやK村さんなどは、キノコの仕事に携わっているので僕たち一般人と比べてキノコ度はグンと高くなる。

K島さんなどは家庭でもきっとキノコの話が話題の中心だろうから、僕が見たところキノコ度は90%って言うところだろうか、、かなりヤバイ。

またK村さんもこの前キノコパンストという「マニアだけ垂涎」のパンストを誇らしげに履いて見せていたので、かなりヤバイと思っていたのだが、マンホールも好き、と言うことが判明したので減点されて80%ぐらいだなぁ、、とメモした。

そこでじゃあA美ちゃんはどうかというと、これは人間の尺度で考えたらイカンのではないか?と感じた。何故かと言うと話をしていたら、まるでキノコと話をしているかの様な不思議な空間が広がるのであった。

「あれ、もしかしてオレ、キノコと話ししてる?」

って感じ。

なかなかヤバイなぁ、、、じゃあA美ちゃんは何%かと聞かれたらほんとに困るのよね、、、

だってキノコだもんなぁ~(笑)


枚方市香里ケ丘の部分地図(明治時代20年台)

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明治時代の香里ヶ丘の地図のコピーをもらうことが出来たので、現在の地図(グーグルマップ)と比較してポイントとなるところをプロットしてみた。

大きくは地形が変わっていなかったのにちょっと感動!!しかし当然昔は山(丘)だったところに団地を作っていったので、この地図上にはない「道」が沢山走っている。それを地名や、平地の部分を重ね合わせながらその未来の道を推測していくのもなかなか楽しい作業であった。

地名も「山之上」「茄子作」「釈尊寺」「村野」「郡津」などの地名はそのまま残っているのがなんだか嬉しいね。

あと、藤田川や以楽園の池などもいまのままの形がそのまま残っていますよ。

ちっちゃいけど拡大して見てください。


長いお別れ

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中村京子「長いお別れ」読了。

夫である昇平は年に一度行われる同窓会に出席するために家を出たが、そのまま行き場所がわからなくなり、自分でも何をしに出掛けていたのかすら憶えておらず、悄然として家に帰ってきた。

その日から、夫の認知症が始まった。

2025年には高齢者の5人に1人とか4人に1人とかが認知症になる、と言われている。
ここで書かれている話は特別なものでも何もなく、当たり前になってきていることを、そのまま何の脚色もなく記述されているかのような印象を受ける。そう、自分の周りを見回してみたら同じような「物語」がそこにもあるし、あそこにもあるよ、という感じだ。

だからこのお話自体感動する、とか、ドキドキした、とか言うものは少なかったけど、だからこそこの問題が孕む大きな課題が見えてくるような気がしました。

家族の長である東昇平は学校の校長先生を務め上げ、その後図書館の館長までなった後にリタイヤすることになった典型的なサラリーマン家庭である。妻曜子は認知症を患った夫の面倒を一手に引き受け、3人いる娘達はそんな母親の苦労を「気づかない」でいる。

長女の茉莉は夫の仕事の関係でアメリカに居を構えており、次女の菜奈は四十代半ばにして二人目の子供を授かったばかり。そして三女の芙美はフリーのフードコーディネーターとして日々忙しい生活を送っている。

そんな3人に試練が訪れる。

母親の曜子が網膜剥離で2週間の入院を強いられることになったのだ。動けない母の代わりに3人の娘が父親の介護に携わることになるのだが、そこで初めて介護の苛酷さを知る。そして父昇平は少しずつ「死」に近づいていく。それは粛々と、しかも確実に。娘達はその現実に慄然とし、焦り、戸惑い、そして困惑の虜となる。

そんな中、父親を預ける施設探していた時に施設の担当者から「QOL」という言葉の説明を受ける。「クオリティ・オブ・ライフ」

「この言葉は、医療の分野ではアンチ延命治療の様に使われることもありますが、私たちは言葉の本来の意味、生活の質、という意味でつかっております。人生の最後のステージを、ご自分らしい生き方で、人生を過ごしていただきたい・・・」

結局この施設は選ばれることは無かったのだが、作者中村京子の<最も書きたかったこと>はこのことなのだと思った。

そして父昇平は一週間だけ退院した後にまた入院するはめになる。この時にまたQOLという言葉飛び出す。

「このまま経口摂取が出来ない状態であれば、栄養摂取の形として胃瘻なども選択肢にあがります ・・・中略 ・・・ご本人か、家族が希望されればもちろん行います。しかしQOLの観点から、この立場は分かれますので、ご家族の確認を取りたいのです」

僕は食事が口から取れなくなったら(経口摂取出来なくなる)、それは「人の体が死に向かおうとしている」と考えている。そしてその<生き物としての>自然の流れを逆流させるべきではない、とも思っている。これはあくまでも僕個人の「場合」の話であり他の人に強要するものではないが、恐らく「人間としての尊厳」という観点からは間違いないだろう。

しかし別のいろいろな観点から人は物事を決断してしまうのだ。
それは良いかどうかは分からないが、死を迎えている本人からしたら迷惑千万な話だろう。