七夕伝説を巡る旅(その1)

枚方市と交野市を分断する川の名前を「天野川」という。
僕達も子供の頃はこの天野川やその支流の川で遊んでいた思い出がある。またこの天野川の上流の方へ行くとまだホタルを観ることができる、そんな美しいところが残っている川でもある。
そんな天野川とその周辺には古くから「七夕伝説」が残されており、万葉集や 古今集などにも多く読まれている事が知られています。
また現在でもその痕跡(遺跡)はいくつか残されていたり、新しく記念碑が作られたりしています。
今回はそんな当時を偲ぶリトルツアーに出掛けて来ましたので写真とともに紹介したいと思います。

まずは忘れている人のために七夕伝説を簡単に説明します。

七夕の発祥は中国と言われており、天の川の西に住む織物が得意な織女と、東に住む牛飼いの牽牛という夫婦の話が元となっています。
織女の結婚相手を探していた天帝(星空を支配する神)が、働き者の牽牛のことを知り「娘の織女と結婚してくれないか?」と頼みました。牽牛は恐縮しながらもその話を引き受け、2人は夫婦となりました。
しかし、2人は結婚すると真面目に働くどころか天の川のほとりでおしゃべりばかりをしています。天帝が「仕事をしないのか?」と尋ねると、「明日からやります」と答えるばかりで一向に働く気配がありません。
これに業を煮やした天帝は、牽牛を元いた天の川の西に戻し、2人を離ればなれにしてしまいました。
牽牛と会えなくなった織女は毎日を泣いて暮らしました。そして牽牛も寂しさにあまり家に閉じこもってしまい牛の世話ができなくなってしまいました。
それを見た天帝は「2人が以前のようにきちんと働いてくれるなら、年に一度だけ会うのを許そう」と言い、それを聞いた2人は前よりも増して一生懸命働くようになりました。
こうして、一年にたった一度だけ会える日の7月7日は、織女と牽牛にとって待ち焦がれた日となったのです。

http://sk-imedia.com/tanabatadensetsu-7881.html

ではまず「牽牛」が居たという観音山に向かいます。

枚方市駅から香里団地方面に行くバスに乗る。
いろいろなコースがあるのだが、高田の方へ行くバスに乗らないかぎり必ず通る新香里というバス停で降りる(わかり安いからね)。
そこから北に向かってしばらく坂を登ると「観音山」という<山>がある。
そんな高い山ではない、山登りから言わせると小高い丘というイメージに近い。

中山観音寺跡

そこには奈良時代から平安初期にかけて「中山観音寺」というお寺があったようで、どうも火災で消失したらしく、その遺跡がこの当たりから発掘されたらしい。
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牽牛石

これは牽牛石ですね。
牽牛(彦星)はもともと牛飼いですから、この石はつまり「牛」なのでしょうね。
よく見れば牛に見えてきました(笑)
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この石はかなり古くから「牽牛が居たところの象徴」として古くからあったのでしょう。

山上憶良の歌碑

ここに万葉集の碑がありました。
山上憶良の歌です。

牽牛(ひこぼし)の
妻迎え船 こぎ出(づ)らし
天の河原に 霧の立てるは
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<訳>
彦星の妻を迎える船が漕ぎ出たらしい
舟しぶきで
天の川の川原に霧が立つのを見ると

なかなか悲しい歌ですね。

牽牛の像

そして2007年の七夕に建立された牽牛の像です。
全国七夕サミットというのがあって、それを記念して建てられたそうな。。
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実はこの観音山、意外にも「牽牛(彦星)様が居たところ」だとは知られてはいません。
僕も子供の頃にそんな話は聞いたかもしれませんが、たぶんすっかりと忘れておりました。

もちろん観音山には何度か来たことがありますが、それは「虫探し」に来ただけであって(しかもあまり居なかった)、子どもとしてそれほど興味が湧く山でもありませんでした。
当時はこんな像や碑なども無かったしね、、、でもたぶん牽牛石だけはあったと思う。

その2につづく、、、

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