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屯鶴峯(どんずるぼう)

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ずっと行きたかった屯鶴峯に行ってきた。
目的は屯鶴峯だけでは無かったのだが、ダイヤモンドトレイルの起点(最終地点)が屯鶴峯だということなので、近鉄二上山駅で降りててくてく歩いて行った。

まぁでも屯鶴峯までは結構遠かったし、途中までは標識があったのだが、道の分かれ目(ジャンクションみたいになっているところ)では、さてどっちに行って良いのか迷ったが、そこはGoogle Mapのおかげで大きく狂うことはなくここまで辿りつけた。

これは思いもよらなかったことであるが(普通は気づくやろうけど、)木々は紅葉の真っ最中であった。僕はもうすっかり終わってるものと思ってカメラもOLYMPUS PENしか持って行ってなかったのだが、やはりちゃんとした一眼を持って行くべき、、、と改めて思った。

この屯鶴峯の景観と紅葉を広角で撮ったらどんなに良かっただろう、、、

さてこの屯鶴峯、どうしてこんな景観が出来たかというと

二上山の火山活動により火山岩屑が沈積し、その後の隆起によって凝灰岩が露出し、1500万年間の風化・浸食を経て奇岩群となった標高約150mの岩山。サヌカイトやザクロ石閃緑岩などの岩石が産出する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%AF%E9%B6%B4%E5%B3%AF

二上山の影響だったんですね。

ちなみに向こうに見える人のようなものは人です。
あそこに行くには遠くに見えるんだけど、案外近くてこの写真を撮った所からたぶん10分以内で行けたかと思う。


負の妄想

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仙台行ピーチの出発は7時10分。早すぎる。

この時間に行こうと思ったら6時30分ぐらいには関空に着いておかねばならず、そうすると天王寺からだと5時30分出発には乗らねばならない。
実際には鶴ケ丘から乗るので5時18分の鶴ケ丘発に乗り、鳳で快速に乗り換えるのが一番スムーズで乗り換えが少なくて済む(しかも安い)。
そうすると起きるのは4時30分ぐらいには起きなければならず、逆算すると10時には寝る必要が出てくるぞ、、クレイジーだわ、、、

しかし、その電車を逃したら、次がなかなか無い。

前もなく(これが始発)、後ろもない(次は30分後)状態なのよね。

もちろん天王寺からだと一度新今宮まで出て南海ラピートに乗る、という方法もあるが、とっても手間だし、行ったこと無いのでちょっと不安。

まぁ、5時18分で行くしか無いな、、、と考えていたらその晩、神戸の方はすごい雷だという話をFBで見てしまった。確かにワンコの散歩に行った時、風が無茶苦茶強かったので少し不安になっていたのだが、雷ということは雨も降っているのか、、と思うと余計に不安になる。

もしかして、電車が遅れるのではないか、、、

だとしたら飛行機に乗り遅れる可能も出てくる、、

そうするとお客さんとの打ち合わせにも間に合わなくなり、、えらい迷惑をかける・・・

と思ったら寝られなくなった。
負の妄想に駆られてしまったのだ。。

寝る前に余計なこと考えるからやなぁ、、

あぁ、なんちゅうチキンハートなのだ、、

P.S.
こんな繊細な面もあるのです、、わたくし。


気まぐれ市場 in 八幡市

「ドライフルーツ入り若鶏のテリーヌにエスカルゴのブルギニョン」
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久しぶりに自転車でのツーリング。背中が痛くて(まだちょっと痛いけど w)運動をしていなかった身体にカツを入れるため枚方近辺まで。家から片道たぶん30kmぐらいかな?距離としては大したことないけど常にスピードを心がけて足をフル回転させるようにしたのでかなり疲れた(苦笑)。まぁでも風もなく気温もいい具合だったのでとても気持ちよくツーリングすることができた。そのご褒美としてこんなのを頂きました。

枚方にあるフレンチの老舗(開業から28年!!)であり、奥さんが小学校の同級生でもある「気まぐれ市場」さん。

お店に入るとそこはフランスの田舎にひっそりと佇んでいる古いレストランの様な内装はそこにいるだけで異文化の香りが漂ってくるような気になります。でもよく見るとブリキのランドセルなどの小ネタがたくさんあり、それらはワラジを履いて学校に通っていたシェフのものだと教えてもらい関心するやら、なんとやら、、、とっても楽しい時間を過ごすことが出来ました。

平川夫妻(Yumiko Hirakawa)どうも有難うございました。

とっても美味しかったです!!
(iPhone での撮影なので写真はイマイチですんません w)

「紫芋とローリエのスープ」
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「牛赤身もも肉のグリエと岩手白金豚のローストカシスソース」
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「はガトーショコラとリンゴのクラフティとソルベ」
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サーファーと富士山

湘南と富士山

富士山を拝めるここ湘南海岸はまさにサーフ天国であった。
海の上に所狭しと居並ぶサーファーたち。
みんなボードの上に待機して波が来るのを待っているのだ。

でも、、

ここからはこんな美しい富士山が見えるのですよ。
この富士山には興味はないのかな?
そんなに大きは波が来ているようには見えませんが・・・・(笑)

あ、でも、モーターを使ってブンブン動く代物よりも余程好きです!!
ブンブンはなんか乱暴ですしね~


自転車ツーリング

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もう何ヶ月ぶりだろうか、、やっとこ自転車ツーリングに行くことができた。

この自転車も余りにも乗っていないので、すっかりタイヤから空気が抜けており、急遽携帯用の空気入れを使って空気を補充し、でも完全ではないのでそのまま会社に行くって空気を入れなおしたものだ。

そして家を出て、毛馬の水門まで行き、そこで一息ついているのがこの写真である。

なかなかカッコいいね!!(自画自賛)

この時は天気もよく、風もなく、ホントに気持ちよく自転車に乗ることが出来ました。
コースは自宅~毛馬水門~守口~枚方~樟葉という感じです。
八幡の背割り堤まで行こうかと思っていましたが、時間が足りず断念しました。

で、八幡ではお楽しみが待っておりました。


湘南

湘南

「湘南」
湘南に来るといつも思い出す歌がある。
太田裕美の「12ページの詩集」に収納されている「湘南アフターヌーン」という曲だ。
作曲は山田つぐと(パンダ)、作詞は松本隆。

♪汽車の窓 頬杖つけば
流れゆく冬は影絵ね
旅人の振りして浜辺を
横切ればあなた住む町
想い出は海を渡って
昔から吹いてくるのよ
くちびるがまだ寒いのは
人恋しさのせいでしょう♪

中学生の時にこのLP(既に死語か?)を買って擦り切れるほど聞いていたが、その中でもこの曲は胸の奥にツンと来るものがあった。それは暖かいテンポの曲調と歌詞の中の女性の情景が少しアンバランスな感じだったから、なのかもしれない。


松島や (3)

五大堂

五大堂は不思議な場所にある。

そこへ行くには2つの橋を渡らねばならない。橋の名前は「透橋」。縁結びの橋、と言われているらしい。橋をわたっている時はその下に海がある、という事を意識することはまず無いであろう。橋は川にかかっているもの、という先入観があるからである。しかしここではその先入観は通用しない。その橋を使って「渡る」のは隣の島へ、であった。上の写真で見るとよくわかるが、陸地にと陸地の間には確かに隙間が空いており水もちゃんと流れているので、あくまでもそれは島であった。

五大堂

その2つの橋を渡ったところに五大堂はあり、そこにも乗船前か、または乗船後の人たちが少なからず訪れていた。

五大堂の説明に関しては以下のものを引用しておく

松島のシンボル・五大堂は、大同2年(807)坂上田村麻呂が東征のとき、毘沙門堂を建立し、天長5年(828)慈覚大師円仁が延福寺(現在の瑞巌寺)を開基の際、「大聖不動明王」を中心に、「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになりました。

http://www.matsushima-kanko.com/miru/detail.php?id=141

坂上田村麻呂と言えば蝦夷の征伐(征夷大将軍)として教えられた歴史上の人物である。と言うことはこの辺り(宮城県)というのはその前線地域だったところなのでしょうね。蝦夷というのは今のアイヌ民族の祖先と言われている人々。古来からここ東北以北を居住地としていたのだが、渡来人達の侵略により北へ北へと追いつめられていった人たち。

そんな過去へ思いを馳せる、、東北の地、そして人々にはそんな悲劇の血が脈々と流れているのかもしれない、、と。

五大堂

五大堂を後にした僕は松島について少し考えてみた。

ここで一番良く目にした「言葉」は「芭蕉」であった。多かれ少なかれここ松島は芭蕉が訪れたことが、そして奥の細道にこの松島のことが記述されていることが、根強い松島人気の一つとなっているのは確かである。
ただ松島のことについて「何て」書いてあるのかは知る人は少ないのではないか、そして奥の細道には松島のことを詠んだ句が一つもないという事も。

有名な「松島や ああ松島や 松島や」という句は芭蕉のものではない。

だいたいこの句には季語というものがない。なので俳句でさえないのだ。何故この句が「芭蕉の句」だとして広まったのかはたぶん「松島>奥の細道>松尾芭蕉」という連想の賜であろう。

ただこの句が「芭蕉の句」であるという伝聞が広まって、この句を口ずさみながら、そして情景を目に浮かべながらこの松島を目指す人は多いだろう。だとすればこの伝聞は間違ってはいるけども地元の人にとってはとてもありがたい一句ではないかと、、そう思うのであります。

「松島や ああ松島や 松島や」

僕も確かにこの句を頭のなかでリフレインさせながらこの駅を降り立った。

松島


松島や (2)

松島

チケット売り場で「向こうに見える船、あの3本ラインの船が仁王号ですわ」、、そう聞いていた僕は道草しつつもその3本ラインの船を目指して歩いて行った。

他にも幾つか遊覧船はあるみたいだけど、駅前で売ってたチケットはたぶんこの船のものだったか、、だとすると電車で来た人の多くはこの船に乗るんじゃないか・・・ちなみに他の遊覧船のチケットは乗り場の近くでしか売ってなかったのである意味不利じゃないか、、、。

まぁそんなことはどうでも良いのだが、、、

船に乗り込むと窓際の良い席はすでに埋まっており、左側前方に少し空いてるだけであった。
仕方がないのでそこに席を取り窓にほとんどレンズを押し当ててシャッターを押してみた。窓ガラスが反射して写真に映り込まないか試してみたのであった。

角度によっては光が写り込む可能性があるがなんとかなりそうであった。

松島

しかし動き出して初めて気づいたことがあった。

圧倒的に船の左側が不利だということ。
チケットに遊覧するコースが載っているのだが、船の右側に島々が多いのであった。
「しまった」と思ったが後の祭り。
まぁ、左側からも何個か島が見えるので、なんとかそれで我慢しよう、、所詮は船だし、、

それでも「良いところ」から見る方法は有った。それは2階席に行くことであった。しかし2階席はグリーン席と言って別途600円を払わなければならない。ここまで来てそこをケチっても仕方がないのだが、事前には何も言わないで船に乗ってから「良いとこで見たい人は追加料金ね」というシステムが何とも納得できないのでやめといた。

松島

説明によると、島の中で幾つかは震災によって崩れたところがあるらしい。

確かに岩肌が露出していてただでさえ海の侵食を受けているところが多いのに、地震で根底から揺らされたもんだからたまったもんじゃなかったであろう。それでも芭蕉がこの島々を見たのか、、と思ったら島のそういった景観も美しく思えてくるのが不思議である。

松島

この島は仁王島と言ってたぶん仁王号の名前の由来にもなった島だと思う。
そしてその仁王島の名前の由来は「仁王像が葉巻をくわえて座っているように見える。」かららしい。
そう言えばそう見えるが、そう言われなければそう見えない(笑)

そして船は後半戦へと歩みを進め大きな島である焼島の周りをぐるりと回る。焼島には家々があり、解説ではそこには昔魚の加工工場があったという話であった。その家々を見て少し驚いた。

「津波の影響をあまり受けてないんじゃないか?」

この集落は外洋に面していて、津波は松島海岸よりも先にここにやって来たはずである。また家々も言わば海岸線の縁に並んで建っているのだ。しかもさほど新しいとは思えない家々が。新しい家だったら津波で流されて立て直した、という可能性があるが、そこには遠目ではあるがそのような家は見当たらなかったのでした。
もしかして津波はこの様に途中にある島々は島の周りを迂回して最終地点の「ある程度幅のある陸地」にぶつかって初めて大きな力を発揮するのではないだろうか、、、

松島

そんな風に考えていたら港に着いた。
まだ仙台行きの電車に乗るには早かったので、その辺りを散歩することにした。


松島や (1)

松島

仙台駅から仙石線に乗って30分ぐらい行ったところに松島海岸という駅がある。日本三景の一つでもあり、松尾芭蕉が奥の細道でここに立ち寄ったことでも有名な「松島」である。

駅を降りるとひなびた駅とは対照的に結構多くの人がその駅から外に流れていた。

意外に観光客は多いのだ。
地元の人からすれば「意外」という言い方は「心外」かもしれない。ただ東北大震災でここ松島も津波の被害を受けた、という情報を得ていた僕は「もしかして観光客もいないのではないか」とうっすらと思っていた。

駅を降り、多くの人は駅を出て左にある遊覧船のチケット売り場に流れて行く。

「ここでないと買えないのか、、」

とは思ったが、とりあえずその海岸とやらを見に行くことにした。

松島海岸

海岸というかその港には船(漁船なのか?)が係留されており、その向こうにはいわゆる松島を形作る島々が見えた。やはりその島々を近くで見るべきやなぁ、、と思い引き返して遊覧船のチケットを買いに行こうと思ったら港の近くでもチケットが売っていたのでそこで購入することにした。

遊覧船が出るのは10時。一周して港に戻るのは50分ぐらいらしい。

時間があったので「どこか行くとこないですか?」とチケット売り場で聞くと五大堂を教えてくれたが、「こっちは行けないのですか?」と聞くと雄島というのがあって、僕の足なら行って帰って来ても十分に間に合うのでまずはそちらに行くことにした。

ここには芭蕉の碑やら仏像(磨崖仏)があってなかなかさびれ具合が良かった。
また予想していたとおり島の先端から向こうに見える島を中心にした写真が撮れたので(他のところからはなかなか難しかった)ここに来たのは正解であった。

雄島

この島での滞在時間は約20分ほどだったか、、遊覧船の集合時間が迫ってきたので急いで乗り場の方に向かった。

そこには既に30人ほどがもう列をなしており、あぁこんなに観光客がいるんやなぁ、、と思ってしばらくして後ろを振り向くと後ろにもずらっと乗船を待つ人々が・・・。松島の人気の高さを実感したのであった。


神戸の街

神戸の街

こうべ森の文化祭からの帰り道。
諏訪神社にもうすぐ届く、という展望台からの一枚。

今回は少しHDRしてみました。
こういう「街写真」はHDRがキリッとしてて良い感じになります。
ちょっとでも暗いかな?