「 2015年11月 」一覧

自転車ツーリング

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もう何ヶ月ぶりだろうか、、やっとこ自転車ツーリングに行くことができた。

この自転車も余りにも乗っていないので、すっかりタイヤから空気が抜けており、急遽携帯用の空気入れを使って空気を補充し、でも完全ではないのでそのまま会社に行くって空気を入れなおしたものだ。

そして家を出て、毛馬の水門まで行き、そこで一息ついているのがこの写真である。

なかなかカッコいいね!!(自画自賛)

この時は天気もよく、風もなく、ホントに気持ちよく自転車に乗ることが出来ました。
コースは自宅~毛馬水門~守口~枚方~樟葉という感じです。
八幡の背割り堤まで行こうかと思っていましたが、時間が足りず断念しました。

で、八幡ではお楽しみが待っておりました。


湘南

湘南

「湘南」
湘南に来るといつも思い出す歌がある。
太田裕美の「12ページの詩集」に収納されている「湘南アフターヌーン」という曲だ。
作曲は山田つぐと(パンダ)、作詞は松本隆。

♪汽車の窓 頬杖つけば
流れゆく冬は影絵ね
旅人の振りして浜辺を
横切ればあなた住む町
想い出は海を渡って
昔から吹いてくるのよ
くちびるがまだ寒いのは
人恋しさのせいでしょう♪

中学生の時にこのLP(既に死語か?)を買って擦り切れるほど聞いていたが、その中でもこの曲は胸の奥にツンと来るものがあった。それは暖かいテンポの曲調と歌詞の中の女性の情景が少しアンバランスな感じだったから、なのかもしれない。


IEEE802.11ac

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この規格の無線LANというのがあるのは知りませんでしたが、試してみる価値アリ!ですな。
我が家は3階建てなのですが、2階の一番端っこにあるルーターに無線のアクセスポイントを付けても中継をしないと1階、3階では使えないし、それでもなかなか心もとない(安定しないってことね)。

なので僕の部屋には安定させるためにPLCアダプターで2階の電源と1階の電源を使ってLAN化している。

しかしこれだとそのコンセントは使えないのん(涙)
なぜならそれ以外のものを同一コンセントに挿すとノイズが乗るので安定した通信ができなくなるからです。ましてや延長ケーブルの先に挿すなどとんでもないこと、、、(嫁にそれをされました w)

そこでこの「IEEE802.11ac」という規格。
速いだけでなく「遠くまで届くとのこと、、、スバラしい!!

http://buffalo.jp/products/catalog/network/11ac/

例えばバッファローだとこんな機種

値段も手頃だと思います。
でも無線ではさんざんバッファローに泣かされてきたので、他のメーカーも見てみると

NECからもこんな機種が出ていますね。

値段も同じぐらい。
これは年末に要件等ですなぁ、、


カレンダーの印刷

カレンダー2015

去年からは「デジカメプリントん」というところでカレンダーを印刷してもらっている。その前はというと昭和町の駅前にあった「プリントターミナル」という写真屋さんであった。

ここは「プロ仕上げ」を売りにしているので、印刷品質はもちろん写真ごとの明るさの調整もしてもらえた(当然なんだどね w)。なので毎年カレンダーの印刷(約1200枚ほど)をお願いしていたのだが、その年も例年と同じくカレンダーの印刷をお願いするためにそこに足を運んだ。

印刷してもらうためのデータをそこで渡し、色の調整をするためにまずは全種類の仮印刷してもらい、一枚ごとに明るさの調整を行った後に全枚数の印刷をしてもらうのであった。

そして印刷が終わった由の電話が入ったので取りに行くと、

「実は印刷機が壊れましてね、、」
「あらま、大変でしたね、、」
「なので今回は別の業者にだしました、、」
「わぁ、それはそれは、、」
「壊れたのはね、、入佐さんの大量の写真を印刷している時ですわ!!」

悪いのはオレなのか・・・(笑)

写真はカレンダー6月の写真。
これはまだFBには出しておりませんでしたのでアップ。
ウメは無視してください (*_*)


松島や (3)

五大堂

五大堂は不思議な場所にある。

そこへ行くには2つの橋を渡らねばならない。橋の名前は「透橋」。縁結びの橋、と言われているらしい。橋をわたっている時はその下に海がある、という事を意識することはまず無いであろう。橋は川にかかっているもの、という先入観があるからである。しかしここではその先入観は通用しない。その橋を使って「渡る」のは隣の島へ、であった。上の写真で見るとよくわかるが、陸地にと陸地の間には確かに隙間が空いており水もちゃんと流れているので、あくまでもそれは島であった。

五大堂

その2つの橋を渡ったところに五大堂はあり、そこにも乗船前か、または乗船後の人たちが少なからず訪れていた。

五大堂の説明に関しては以下のものを引用しておく

松島のシンボル・五大堂は、大同2年(807)坂上田村麻呂が東征のとき、毘沙門堂を建立し、天長5年(828)慈覚大師円仁が延福寺(現在の瑞巌寺)を開基の際、「大聖不動明王」を中心に、「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになりました。

http://www.matsushima-kanko.com/miru/detail.php?id=141

坂上田村麻呂と言えば蝦夷の征伐(征夷大将軍)として教えられた歴史上の人物である。と言うことはこの辺り(宮城県)というのはその前線地域だったところなのでしょうね。蝦夷というのは今のアイヌ民族の祖先と言われている人々。古来からここ東北以北を居住地としていたのだが、渡来人達の侵略により北へ北へと追いつめられていった人たち。

そんな過去へ思いを馳せる、、東北の地、そして人々にはそんな悲劇の血が脈々と流れているのかもしれない、、と。

五大堂

五大堂を後にした僕は松島について少し考えてみた。

ここで一番良く目にした「言葉」は「芭蕉」であった。多かれ少なかれここ松島は芭蕉が訪れたことが、そして奥の細道にこの松島のことが記述されていることが、根強い松島人気の一つとなっているのは確かである。
ただ松島のことについて「何て」書いてあるのかは知る人は少ないのではないか、そして奥の細道には松島のことを詠んだ句が一つもないという事も。

有名な「松島や ああ松島や 松島や」という句は芭蕉のものではない。

だいたいこの句には季語というものがない。なので俳句でさえないのだ。何故この句が「芭蕉の句」だとして広まったのかはたぶん「松島>奥の細道>松尾芭蕉」という連想の賜であろう。

ただこの句が「芭蕉の句」であるという伝聞が広まって、この句を口ずさみながら、そして情景を目に浮かべながらこの松島を目指す人は多いだろう。だとすればこの伝聞は間違ってはいるけども地元の人にとってはとてもありがたい一句ではないかと、、そう思うのであります。

「松島や ああ松島や 松島や」

僕も確かにこの句を頭のなかでリフレインさせながらこの駅を降り立った。

松島


松島や (2)

松島

チケット売り場で「向こうに見える船、あの3本ラインの船が仁王号ですわ」、、そう聞いていた僕は道草しつつもその3本ラインの船を目指して歩いて行った。

他にも幾つか遊覧船はあるみたいだけど、駅前で売ってたチケットはたぶんこの船のものだったか、、だとすると電車で来た人の多くはこの船に乗るんじゃないか・・・ちなみに他の遊覧船のチケットは乗り場の近くでしか売ってなかったのである意味不利じゃないか、、、。

まぁそんなことはどうでも良いのだが、、、

船に乗り込むと窓際の良い席はすでに埋まっており、左側前方に少し空いてるだけであった。
仕方がないのでそこに席を取り窓にほとんどレンズを押し当ててシャッターを押してみた。窓ガラスが反射して写真に映り込まないか試してみたのであった。

角度によっては光が写り込む可能性があるがなんとかなりそうであった。

松島

しかし動き出して初めて気づいたことがあった。

圧倒的に船の左側が不利だということ。
チケットに遊覧するコースが載っているのだが、船の右側に島々が多いのであった。
「しまった」と思ったが後の祭り。
まぁ、左側からも何個か島が見えるので、なんとかそれで我慢しよう、、所詮は船だし、、

それでも「良いところ」から見る方法は有った。それは2階席に行くことであった。しかし2階席はグリーン席と言って別途600円を払わなければならない。ここまで来てそこをケチっても仕方がないのだが、事前には何も言わないで船に乗ってから「良いとこで見たい人は追加料金ね」というシステムが何とも納得できないのでやめといた。

松島

説明によると、島の中で幾つかは震災によって崩れたところがあるらしい。

確かに岩肌が露出していてただでさえ海の侵食を受けているところが多いのに、地震で根底から揺らされたもんだからたまったもんじゃなかったであろう。それでも芭蕉がこの島々を見たのか、、と思ったら島のそういった景観も美しく思えてくるのが不思議である。

松島

この島は仁王島と言ってたぶん仁王号の名前の由来にもなった島だと思う。
そしてその仁王島の名前の由来は「仁王像が葉巻をくわえて座っているように見える。」かららしい。
そう言えばそう見えるが、そう言われなければそう見えない(笑)

そして船は後半戦へと歩みを進め大きな島である焼島の周りをぐるりと回る。焼島には家々があり、解説ではそこには昔魚の加工工場があったという話であった。その家々を見て少し驚いた。

「津波の影響をあまり受けてないんじゃないか?」

この集落は外洋に面していて、津波は松島海岸よりも先にここにやって来たはずである。また家々も言わば海岸線の縁に並んで建っているのだ。しかもさほど新しいとは思えない家々が。新しい家だったら津波で流されて立て直した、という可能性があるが、そこには遠目ではあるがそのような家は見当たらなかったのでした。
もしかして津波はこの様に途中にある島々は島の周りを迂回して最終地点の「ある程度幅のある陸地」にぶつかって初めて大きな力を発揮するのではないだろうか、、、

松島

そんな風に考えていたら港に着いた。
まだ仙台行きの電車に乗るには早かったので、その辺りを散歩することにした。


松島や (1)

松島

仙台駅から仙石線に乗って30分ぐらい行ったところに松島海岸という駅がある。日本三景の一つでもあり、松尾芭蕉が奥の細道でここに立ち寄ったことでも有名な「松島」である。

駅を降りるとひなびた駅とは対照的に結構多くの人がその駅から外に流れていた。

意外に観光客は多いのだ。
地元の人からすれば「意外」という言い方は「心外」かもしれない。ただ東北大震災でここ松島も津波の被害を受けた、という情報を得ていた僕は「もしかして観光客もいないのではないか」とうっすらと思っていた。

駅を降り、多くの人は駅を出て左にある遊覧船のチケット売り場に流れて行く。

「ここでないと買えないのか、、」

とは思ったが、とりあえずその海岸とやらを見に行くことにした。

松島海岸

海岸というかその港には船(漁船なのか?)が係留されており、その向こうにはいわゆる松島を形作る島々が見えた。やはりその島々を近くで見るべきやなぁ、、と思い引き返して遊覧船のチケットを買いに行こうと思ったら港の近くでもチケットが売っていたのでそこで購入することにした。

遊覧船が出るのは10時。一周して港に戻るのは50分ぐらいらしい。

時間があったので「どこか行くとこないですか?」とチケット売り場で聞くと五大堂を教えてくれたが、「こっちは行けないのですか?」と聞くと雄島というのがあって、僕の足なら行って帰って来ても十分に間に合うのでまずはそちらに行くことにした。

ここには芭蕉の碑やら仏像(磨崖仏)があってなかなかさびれ具合が良かった。
また予想していたとおり島の先端から向こうに見える島を中心にした写真が撮れたので(他のところからはなかなか難しかった)ここに来たのは正解であった。

雄島

この島での滞在時間は約20分ほどだったか、、遊覧船の集合時間が迫ってきたので急いで乗り場の方に向かった。

そこには既に30人ほどがもう列をなしており、あぁこんなに観光客がいるんやなぁ、、と思ってしばらくして後ろを振り向くと後ろにもずらっと乗船を待つ人々が・・・。松島の人気の高さを実感したのであった。


モデル

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山像から演劇「モデル」のフライヤーが届いた。

いよいよ、来週から始まるのだなぁ、、わくわく。

僕の小・中・高の同級生でおまけに小学校低学年で行ってた家庭児童会(学童保育)でも一緒だったという神縁の言うべき繋がりなのだが、そんな事は最近になるまで気づいてなかった、ぼんやりした二人なのだが、彼女のお芝居に関してはとっても素晴らしいのですな。いつも「あの山像から、なんでこんな話が出てくるのだろ??」と関心しながら見させてもらうのだが、今回もきっとそんな良い「裏切り」があるのだろうな、、ほんと楽しみですなぁ~


お土産

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ただ今仙台なり、仙台なり、、。
出張では極力荷物を減らしてかばんを軽くすると言うことに徹しているのだが、どうしても4泊5日ともなると仕事用のかばんと着替えなどのかばんの2つがパンパン状態になる。しかもカメラやパソコンを入れてるので激しく重たいのであった。

そして本日打ち合わせに行ったお客さんのところで、、、

帰り際に専務と呼ばれる人が出先から戻ってきた。ちょっとコワモテのその専務と名刺交換をし、いそいそと帰ろうとしたその時に「お土産持って帰りっ!」と言ってこのお米を渡してくれた。

お米です、、重いです、、重いかばんが、もっともっと、重くなりました(涙)。

ちなみにこの「東北194号」というのは新品種で「『ササニシキ』(母)の風味と『ひとめぼれ』(父)の耐性を兼ね併せ持つ品種」らしい。
めっちゃ食べるのん楽しみである!!


タジン鍋

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二日目のお昼はモロッコ料理。タジン鍋というらしい。初めて食ったのだが、そんなにイケてなかったのはメインの具がイワシだゅたからかも知れないな、、、次は違うのに挑戦してみよう。
しかし、未だに背中が痛い、、、サーバーの後ろに潜り込んで無理な姿勢で仕事していたせいなのだろう、、明日から仙台、牛タン食ったら治るか?(笑)