ホームスティ(なぜ受け入れるのか?)

DSC_0573-1

以前知り合いに

「ホームスティなんか、何で受け入れるん?何か得なことでもあるん?」

と聞かれたことがある。
その時は、

「子ども達の良い経験にもなるしなぁ、、、」

とだけ答えたっけ。。
少なくとも「経済的」に見れば何一つ得なことなどない。「時間」だってそのために多くの時間を費やす必要があるし、文化も違う人を受け入れると言うことは気も半端無く使わねばならない。

しかし子どもはもちろんの事、親である我々にもお金に替えることの出来ない沢山の経験がそこにはあるのです、かならず。例えば、ホームスティに来た人を媒介にしてその国の事を知る事もできるし、もしくはその人が来るから前もって学びたいと考えるであろう。また大げさに言えばその人自身が「国」でもあり、その人と話をするって言うことはまさに「その国を旅行をしている」ということに等しいのである。

もう一人神奈川で同じような受け入れをしているタミちゃんからこんな話を聞いたことがある。

「若い頃、小さな子供を抱えてアメリカに転勤することになり、その時にろくに英語もしゃべれなかった私を助けてくれた人がいて、その人達への恩返しのつもりで受け入れをしているの」

これもまた素敵な話だなぁ、と思う。
まぁ僕自身は海外への滞在経験というのがないので、海外で人に助けてもらったことは皆無に等しい。無いけどタミちゃんの気持ちはよく分かるし、もし同じような立場だったらきっと同じように考えて行動していたに違いない。恩を受けた人にじゃなく、他の人に恩を与える事によって、結果的に恩を受けた人への「恩返し」になるという発想はたぶんホスピタリティ精神の根幹をなすところだと思うのです。

・・・と今まで書いてきたのは実は後付けの理由である。

いやウソを書いてきたわけではない。
もちろん本当の事であるが、自分の気持ちを整理し、他の人に分かりやすいように説明するための理屈をあたかもそれが自分の気持ちのすべてである、かのように書いてみたのである。

さてじゃあホントにホントの理由はというと、、、

「楽しいから」

ということなのだろう、、と思うのだ。

ついこの間まで全く知らない国に住んでいて、何をやっているか、どういう暮らしをしているのか、そんな情報も繋がりも無い国からやってきた人と、たまたま何かの縁でうちの家に泊まりにくる事になり、一緒に食事をし、話をして、ひとつ屋根の下で寝て、旅をする、、、こんな出会いが他にあるだろうか?

これって考えただけでワクワクしないか、、、少なくとも僕はするのだ。

こんなワクワク感ってきっと他には無いと思うし、これってやっぱり奇跡なんだと思う。

誰の意図にも依らず、たまたま何かのイタズラで偶然に知り合うことになった奇跡。
この奇跡的な繋がりがずっと続くのか、それとも途絶えていくのか、はたまた途絶えた後にまた何かのきっかけで縁が復活するのか、、、それは誰にも分からない。分からないが僕はまた訪れる奇跡を信じようと思っている、ワクワクしながら。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です