「地図さんぽ」(明治20年台 枚方駅~枚方公園)

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江戸時代、枚方は「枚方宿」と言って京都から大阪に向かう途中の宿場町であった。この地図で見るとオレンジで囲んであるエリアが枚方宿、もしくは枚方宿だった所だろうとわかる。僕らの子供の頃はこんな感じでズラッと小売の商店が並んでおり、昔の面影が残っていたものである。

この地図の当時では枚方村を中心にして三ツ矢村、岡新町村、田宮村、伊加賀村など現在では町名として残っている名前が「村」として存在していた。

その村の中心はいずれも平野部のところであり、等高線が示す通り、枚方宿の南側にはまるでリアス式海岸の様な地形が刻まれており複雑な地形だったことが伺える。

また現在の枚方市駅は枚方宿の中心に作られており、そこから枚方宿の南側に添って線路が引かれていて伊加賀村の少し北側あたりに枚方公園駅が作られている。たぶんその辺りの田んぼを潰して枚方パークが作られたんでしょうね~

さて、ここで注目したのは枚方中学の位置です。このマークが良くわからないのですが、もしかしてここは池じゃなかったのかと思われます。つまり池を潰して枚方中学を作ったのではないかと。
それとこの間、高低差学会で歩いた時に、枚方中学校横の階段を降りたところのスリバチ地形がありましたが、その地形がちょうどこの地図に載っていますね!!

この地図で鷹塚山遺跡の位置をここにしましたが、確か尾根道のところに有ったはずですがちょいと曖昧です(地図の見方を知らないというわな w)

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