長いお別れ

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中村京子「長いお別れ」読了。

夫である昇平は年に一度行われる同窓会に出席するために家を出たが、そのまま行き場所がわからなくなり、自分でも何をしに出掛けていたのかすら憶えておらず、悄然として家に帰ってきた。

その日から、夫の認知症が始まった。

2025年には高齢者の5人に1人とか4人に1人とかが認知症になる、と言われている。
ここで書かれている話は特別なものでも何もなく、当たり前になってきていることを、そのまま何の脚色もなく記述されているかのような印象を受ける。そう、自分の周りを見回してみたら同じような「物語」がそこにもあるし、あそこにもあるよ、という感じだ。

だからこのお話自体感動する、とか、ドキドキした、とか言うものは少なかったけど、だからこそこの問題が孕む大きな課題が見えてくるような気がしました。

家族の長である東昇平は学校の校長先生を務め上げ、その後図書館の館長までなった後にリタイヤすることになった典型的なサラリーマン家庭である。妻曜子は認知症を患った夫の面倒を一手に引き受け、3人いる娘達はそんな母親の苦労を「気づかない」でいる。

長女の茉莉は夫の仕事の関係でアメリカに居を構えており、次女の菜奈は四十代半ばにして二人目の子供を授かったばかり。そして三女の芙美はフリーのフードコーディネーターとして日々忙しい生活を送っている。

そんな3人に試練が訪れる。

母親の曜子が網膜剥離で2週間の入院を強いられることになったのだ。動けない母の代わりに3人の娘が父親の介護に携わることになるのだが、そこで初めて介護の苛酷さを知る。そして父昇平は少しずつ「死」に近づいていく。それは粛々と、しかも確実に。娘達はその現実に慄然とし、焦り、戸惑い、そして困惑の虜となる。

そんな中、父親を預ける施設探していた時に施設の担当者から「QOL」という言葉の説明を受ける。「クオリティ・オブ・ライフ」

「この言葉は、医療の分野ではアンチ延命治療の様に使われることもありますが、私たちは言葉の本来の意味、生活の質、という意味でつかっております。人生の最後のステージを、ご自分らしい生き方で、人生を過ごしていただきたい・・・」

結局この施設は選ばれることは無かったのだが、作者中村京子の<最も書きたかったこと>はこのことなのだと思った。

そして父昇平は一週間だけ退院した後にまた入院するはめになる。この時にまたQOLという言葉飛び出す。

「このまま経口摂取が出来ない状態であれば、栄養摂取の形として胃瘻なども選択肢にあがります ・・・中略 ・・・ご本人か、家族が希望されればもちろん行います。しかしQOLの観点から、この立場は分かれますので、ご家族の確認を取りたいのです」

僕は食事が口から取れなくなったら(経口摂取出来なくなる)、それは「人の体が死に向かおうとしている」と考えている。そしてその<生き物としての>自然の流れを逆流させるべきではない、とも思っている。これはあくまでも僕個人の「場合」の話であり他の人に強要するものではないが、恐らく「人間としての尊厳」という観点からは間違いないだろう。

しかし別のいろいろな観点から人は物事を決断してしまうのだ。
それは良いかどうかは分からないが、死を迎えている本人からしたら迷惑千万な話だろう。

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