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国民投票

Nigel Farage, the leader of the United Kingdom Independence Party (UKIP), struggles with a television ear piece as he gives interviews at a Leave.eu party after polling stations closed in the Referendum on the European Union in London, Britain, June 23, 2016.  REUTERS/Toby Melville

Nigel Farage, the leader of the United Kingdom Independence Party (UKIP), struggles with a television ear piece as he gives interviews at a Leave.eu party after polling stations closed in the Referendum on the European Union in London, Britain, June 23, 2016. REUTERS/Toby Melville

http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/27/eu-referendum_n_10707968.html

「あぁ、国民投票でこんなん決めれるんや、えぇなぁ」と思っていたけど、この記事を見て愕然とした。やっぱ国民投票ってあかんやん、、、って。

僕ら一般市民って美味しいものが目の前にあったら食べてしまうもんなぁ、、

「それ、食べてえぇねんで」

「遠慮することなんかないわ」

「お金のことなんか気にすんなよ」

はい、パクリ。

だもんなぁ、、
それ食べたら余計なお肉が付くとかさぁ、コレステロール値が増えるとかさぁ、血がドロドロになるとかさぁ、、、少しは頭をよぎるけどやっぱり食べてしまうのよね~
ならやっぱりね、

「私は10年後を考えて決して食べません!(きっぱり)」

とかね、言える人。

そんな人を選んで将来を託すほうがえぇよなぁ、、絶対に。

ほんでから、羽生名人のような何十手、何百手先を読んで物事を決めてくれる人とかね。

イギリスはこれからどうするんだろう?


巨大防波堤は要るのか?

今朝の朝日新聞WEB版からこんなタイトルが流れてきた。

「594か所の総延長400キロ 防潮堤、東北で計画着々」
http://www.asahi.com/articles/ASJ2L4SF2J2LUQIP01S.html

岩手、宮城、福島の沿岸594カ所で、防潮堤の建設や再整備の計画がある。その総延長は、約400キロに及ぶ。

らしい。
400キロといえば大阪から静岡の富士市ぐらいまでの距離である。
そんな長い距離(繋がってるワケじゃない)に延々と防波堤が築かれるのだ。

本当に必要なのか?

これには少なくとも僕らの税金も沢山使われているので言う権利はあるだろう、、この様な防波堤、本当に必要なのだろうか?

記事の中でもあるように、この地域に住んでいる人の住宅はもう少し高台にある場所に移転されつつあるらしい。この中にも税金がかなり投下されているはずなのですが、少なくともそれについては「良し」としていいと思う。

じゃあ、、この巨大な防波堤はいらんじゃないか・・・

となるのだが、恐らく住宅以外の店舗や工場・倉庫などはこの堤防の内側に新たに建設されるのだろうと思われる。たぶんこの内側は更地に近いものになるだろうから、それらの巨大施設を建てるのにはむしろ好都合な場所といえる。

つまり人はすまないけど、人はいる場所、と言うことになる。
なので「ここに防波堤は必要なのだ」という論理になってもなんら不思議ではない。

が、しかし、、本当に住民がそれを欲しているのか?

という疑問が残る。
記事にも書いてあるが、この防波堤によって今まで見えていた風景が無くなるのである。
自分たちが生まれてからずっと見てきた景色が一変するのである。

それでも「ここに住みたい」「ここはいい街だ」と思うのだろうか?

津波が来る場所は?

良くわからないんだけど、確かに今回防波堤を築くところというのは、前回の大地震で津波に襲われた場所、なのだろう。そしてその場所は「またやってくる可能性がある」場所なのだろう。

でもそこだけか?これから津波に襲われそうな場所は無いのか?

話はちょっと飛ぶが、神奈川県藤沢市に宿泊した時に江ノ島までジョギングしたことがある。藤沢はそれほどでもないのだが、海に近づくにしたがって、サーフィンショップがあったり、釣りのお店があったりと雰囲気が「海の街」になっていくのが何だか心地よいのだ。

そしてそこらにある街の名称を目にするたびにサザンオールスターズの歌詞を口ずさみたくなりジョギングも俄然楽しくなってきた事を覚えている。
しかし、ところどころにある電柱にはこんな風に記された看板が下がっているのであった。

「ここは海抜1.2mです」

この辺りは海抜1.2mしかないのか、と思うと同時にもし津波がやって来たらここら一帯にある家々は完全に流されてしまうに違いない、、とも。

そう、日本は島国なので「こんな場所」はどこにでもある。
もちろん僕が住む大阪にだって。

そこには巨大防波堤は要らないのか?と聞かれれば「津波が来るんだったら要るでしょう」と答えるしかないのだ。

でもそんな風にしたら日本全国防波堤だらけになってしまう。

それでいいのか?

僕の好きな湘南海岸が防波堤で見えなくなったらどれだけ魅力の無い海岸になってしまうだろう。
江ノ島あたりからぐるっと海岸線がくねって、そのはるか先には富士山が見える。その海岸線がすべてコンクリートで覆われてしまったとしたら人は何て傲慢なのだろう、、と多くの人が嘆くことだろう。。


五代友厚

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以前から五代友厚という名前だけは知っていた。北浜駅を降りて直ぐのところにある大阪証券取引所の真ん前にドーンとこの銅像が建っているからですな。

「あぁ、ここに建ってるってことは大阪証券取引所を作った人なんや、、」と思っていたのだが、それどころか

・大阪造幣局の設置を進言
・大阪商工会議所(大阪商法会議所)
・住友金属工業
・関西貿易社
・共同運輸会社
・商船三井(大阪商船)
・南海鉄道(大阪堺鉄道)

などなど、「朝が来た」の中で描かれている通りにたくさんの会社の設立に関係してたんやなぁ、、びっくりポンやな~

実は幕末から明治維新にかけての物語の中ではこの「五代友厚」という名前の記憶が無いのだが、たぶんこの方はそう言った動乱の時代よりも、新しい仕組みづくりが必要になってくる時代に最も必要になる人物だったのでしょうね。

司馬遼太郎が書いていたが、明治維新のような時代の流れが大きく変わるときには3つのタイプの人間が出現してくるらしい。

・1番目が今までの成り立ちを破壊するタイプ・・・吉田松陰、橋本左内など、、

・2番目が、1番目の人たちが提唱したことを実行するタイプ・・・坂本龍馬、西郷隆盛など

・3番目が、以前の成り立ちが壊された後、新しい仕組みを作っていく実務家タイプ・・・大久保利通、伊藤博文など

さて、五代友厚がこの中のどれに当てはまるかというと間違いなく3番であろう。

今日もこの前を通りかかるとおばさん達が写真を撮っておりましたな、、、俄に人気が出てきた五代友厚、一部にはディーン・フジオカのおかげ、という噂もありますがXデーはもうそこに来ているみたいですな、、トモちゃんどうなることやら。。。


神社とはこういう組織なのか?

気になることがあったのでメモ代わりに。
「東京都神社庁」なるものが存在している。WEBサイトの冒頭に「東京都神社庁とは東京都内にある1398の神社を包括している組織です」とある。つまりは東京にある神社の総意を束ねている組織、なのでしょうなぁ、、
そんな「組織」がこんな事を言うてはります。

誇りある日本を目指して『憲法改正を推進します』
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/kenpou/index.html

神社というのはそういう組織なのか?
毎年初詣にだけは行ってるのだが、この様な事を「推進」する組織に対してお参りに僕たちは行ってるのかな?

なんだか、違和感を感じますね。
その違和感を山崎雅弘さんがTwitterで解説してくれています。


あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~

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録画していたNHKテレビ「あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~」という番組を見た。

昭和19年、アメリカが沖縄に上陸する前に14歳から17歳までの少年兵を新たに徴兵し、彼らに武器をもたせて日本軍兵士にしたてたのである。その目的はアメリカ軍の本土上陸(沖縄上陸ではない)を阻止するために沖縄の2つの拠点でゲリラ作戦を行わせるためだった。

その名も「護郷隊」。「郷(故郷を」「護(守る)」ための部隊。

君たちの故郷(または親や兄弟)を守る為に戦くのだ、というスローガンがここにこもっている。単に若い兵士が出兵で不足してきたため、子供たちを急遽兵士として戦いに借り出すための口実として。

このために軍部は法律をわざわざ改定し、14歳から兵役につけるようにした。そしてその前提条件としては「徴兵」ではなく「志願」すること、であった。
しかしそれはあくまでも建前であって、集められた当時の少年たちの前で士官はこんな事を言った。

「逃げるのは構わないが、逃げたら死刑である」

これは言われた子ども達にとっては(大人でもそうだが)徴兵そのものである。建前うんぬん関係なく、強制連行そのものである。

そうやって徴兵された子ども達は洗脳されていく。ある時はもう嫌というほど殴られて、またある時は日本刀で脅かされながら、、、彼らは「敵を10人殺したら死んでもいいぞ」と上官から「命令」される。10人殺すまでは「この状態から逃れることは出来ないのだ」。

彼らは自分が生まれ育った家を焼き払い、友達が死んでいっても「何も感じることが出来ず」まさに殺人鬼のロボットのようになっていくのであった。

さて、以前安保法案に関連して「徴兵制」が復活するのではないか「だから安保法案反対」というような事を法案反対派が「反対理由」としてスローガンにしていた。
それに対して賛成派は「徴兵制など絶対にありえない」という。その理由の一つには憲法がそれを許してないこと(憲法を無視するような法案を通そうとしてるのにね・・・)、そしてもう一つが「徴兵制で集められた兵隊など『使い物にならない』からである」という話。

その根拠というのがこの岡田真里さんという陸上自衛隊予備自衛官(現役なのね)のブログである。

岡田真理のほじくりコラム「徴兵されないか不安なみなさんへ。」

さてまずはこの方の衝撃的な文章

結論から言うと、みなさんが徴兵されることは絶対にありません。
なぜなら、「あなたたちは使い物にならないから!」です。
嫌な言い方してすみません。
でも、事実、そうなんです。

「使い物にならない」から徴兵制はない。

なんという分かりやすい理屈だろうか。
会社だってそうである、使いものにならない人を雇いたいと思うだろうか?思わないよね?

だから徴兵制はない。

のだそうだ。
その「使い物になる」か「ならない」かの分かれ目は「志願するか、しないか」だそうだ。

めちゃくちゃだよなぁ、、と思う。
よくこんなものを読んで「だから徴兵制はないのだ」という理屈になるのかが不思議。

まぁ僕も基本的には徴兵制などには絶対にならないと思います。理由はこれだけ「集団的自衛権」だけでも反対者がいるのに(たぶん反対のほうが多い?)、徴兵制などというのはあまりにも「時代に合わない」からである。ただし「経済的徴兵制」にはなると思うし、それは今の自衛隊ですら少なからずあるんじゃないでしょうか?違うかな、、自衛隊の隊員はすべて「国を守るため」という尊い意思を持ち志願してきた逞しいプロ集団なのだろうか、、、

話を「あの日、僕らは戦場で」に戻す。
くりかえすが、ここで集められた少年兵士たちは徴兵(または強制)によって集められた少年たちである。彼らは何年訓練をして戦場に立たされたであろうか?そして彼らが集められた理由はなんだったのか??

インタビューに答えた少年兵生き残りの老人がこうつぶやく

「友達が死んでも、相手が死んでも、そして自分が死んでも、何も思わんかった・・・」

戦争とは人間をそんな「無感情」の生き物に仕立てていくのである。逆に言うと人の心を持っていたら戦争などできないのではないだろうか。
「使い物にならない」人も「使われる」のだ、それが戦争である。


中国の軍事拡大は日本にとって脅威なのか?(下)

さて結局僕達「素人」は中国の軍事拡大(と言われているもの)が我々日本にとって(ここ重要)脅威なのか、それとも脅威じゃないのか、それとも少なくとも「今は」脅威と捉える必要はないのか、、それは分からないのです。

これはたぶん殆どの人が想像や憶測で物を言っており(双方の立場共に)、それを聞いている人がいてその人達はその「想像で物を言ってる人たち」の言葉を信じてまた物を言ってるのですね。

じゃあなぜそんな想像や憶測が出てくるのか?
特に安保法案に賛成している人の立場から言うとそれは「漠然とした恐怖」なのだと思う。そしてそれはふるまいさんの言うように「いくら口で説明しても納得してもらえないもの」なのであろう。

「だって南沙諸島では実際に埋め立てを始めてるんでしょ?」
「あれって土地を勝手に自分の領土にしてるってことじゃないの?」
「尖閣諸島だってそうだね、中国の領海侵犯がひっきりなしにあるじゃない」
「それって将来は『日本も自分の領土に」しようとするってことでしょ?」

さてこんな「恐怖」にいくら「それはありません」と言っても「いやあるはず、だって中国だもの」と言われてしまえば、もうそれ以上説得することは出来ないのです。

これは、簡単に言ってしまえば高所恐怖症の人にハルカスの屋上に登ってもらい、手すりの近くまで連れてって「怖くないでしょ、手すりがあるし」って言ってるのと同じ気がするんですね。
要は、「怖いものは、怖いねん」ってことなので。。

ただ安保法案賛成の人たちも「戦争をしたい」とか「徴兵制を敷かないと」とか「戦前日本人が持っていた道徳観を取り戻す」とか思っている人は多くないだろう。永江さんが言ってるように、相手を牽制するため、もしくは抑止力にするための集団的自衛権、という考えの方がかなりを占めているんじゃないか、と思う。

しかし、安保法案賛成の人たちの中には「嫌中、嫌韓」で、それらの国に対抗するため(舐められないため)に日本も集団的自衛権から始まる正式な軍隊を持たねばならない、と思っている人も少なからずいる。それはまだ分かる。向こうがやってきたら、やり返せ、という単純な思想だから。

それより分からないのは今の閣僚19人のうち15人を占める日本会議という極右団体が目指す戦前回帰の思想である。そんなアナクロニズムな思想を今の我々に押し付けられたらたまったもんじゃないのだ。そしてそんな国会議員がうじゃうじゃいる、という今の御時世、、いったいどうなることやら、、、


中国の軍事拡大は日本にとって脅威なのか?(中)

安倍首相が参議院の審議で「中国の軍事的脅威」を言及する前に永江一石さんがブログでこんな記事をアップされていました。

安保改正法を憲法に抵触するのに急いだ理由はコレだと思う

この記事中で永江さんは「中国の進出は日本の脅威である」と言うことを言われています。

いま、南沙諸島での埋め立てとか空港建設など中国の侵略が日常的に急ピッチで進んでいて、アメリカや、日本やオーストラリアに東南アジア各国から助けを求められてます。日本も中古の巡視艇を供与したりはしてますが・・。中国は自国の領土を主張してる範囲見てよ。これをもし実効支配されそうになったら、今回の法案にある「国家存立の危機」ということになり、集団的自衛権のために自衛隊を出すことができるぞという牽制ができたわけさ。

確かにここにある地図を見て「脅威を感じない」人はいないかも知れません。

なので「安保法案は必要」なのか?

永江さんは最後のほうでこんな文章を書かれています。

でもさ、中国もまじでいい加減にして欲しいよ。戦争に一番向かってるのはこの国だが、日本と同じように一人っ子ばかりだから実際に全面戦争には出てこないと思う。そんなことしてたくさん死んだらクーデターが起きちゃう。よって威圧的な態度で周辺諸国を押し切るつもりだが、今回の法案は、これに歯止めをかけたのではないかと思う次第です。

つまりは日本の安保法案が成立すれば中国の無謀な進出に歯止めがかけられるんじゃないか、、と。
しかしそのあたりは、はっきり言って誰も分からない、のですね。

さてここで「中国の脅威」とはいかばかりのものか?
ということにつきましてふるまいよしこ(@furumai_yoshiko)さんがこんなツイートをされてましたので、そのまま載せてみます。

最近のいろんな「運動」について、時々年長の、たぶんかつて60年代70年代の学生運動に関心を持っていた人と話をしていて、とても違和感があるのは、彼らは主義主張がまずあること。平和主義とかそういうもの。今は、若い「戦争に行きたくない」という人たちとつながっているからいいけど…

承前)今後どうなるのかなぁ、と漠然とした不安があります。というのも、若者たちの主張は「自分は〜したくない」という切実な意識から始まっている。だが、年長世代は「〜主義」から始まっている。そこがいつか、主義主張で別れてしまうのではないか、と。(続

承前)たとえば、この間もFBで書いたのですが、わたし個人は巷に流れる「中国脅威論」の論点のほとんどはアホか、と思っています。ですが、それはわたしが中国のムードを知っているから。「中国脅威論」を支えている人たちの多くが「不安」だからです。なので、「中国脅威論」は論破できないと思う。

承前)というのも、中国当局の物事の進め方は常に粗暴です。これは海外だけではなく、中国国内でもさんざん中国国内住民に対して行われているから、わたしも見ているだけで怖いです。その粗暴さに不安を覚え、「恐怖」を感じることは自然なことだから。逆に「脅威論」を唱える人はそんな恐怖を利用する

承前)つまり、「中国脅威論」を論破するということは、そういう恐怖をなきものにする、ということですが、わたしも責任取れない中国政府の粗暴さを見て感じる恐怖を、感じるな、という方が無理です。そういう意味で「脅威論」の論破は無理。でも、活動家の一部の方は「脅威論」自体を問題とみなし、

承前)中国の実情も知らないままに、平和主義的立場から「脅威論はダメでしょ」と主張する。あなた方の他者に対する優しさや思いやりは理解したいけど、それでは「恐怖」を感じている人は説得できません。その距離感をすごく感じています。

承前)ならば、どうすればいいのか。わたしにできることは、わたしが持っている知識と情報と分析を元に、「日本的に解釈された中国」を解きほぐして、日本で拡大解釈される「脅威論」のばかばかしさを理解してもらうことでしょう。結局、根拠のない「脅威論」って他者の恐怖を利用しているだけですし。

承前)ともあれ、思うのは、人間の「恐怖」って、本当に利用されやすいのです。良くも悪くも利用されやすい。もし、集合知を信じるなら、声をあげることが意味があると信じるなら、まずは自分が持っている「恐怖」と向き合い、理解することではないかと思います。それをやらずに集合知もクソもない。

でも、最後に言っておきますが、日本で流れている「中国脅威論」の根拠とか論調とか、ほとんどが思いつきやねじ曲げでできています。それを主張する人にとっては、聞く人が不安や恐怖を感じないと目的を達せないので、かなりの妄想も含めて吹聴されているのは事実です。

ちなみにふるまいよしこさんは長年中国(北京、香港)に住んでおられて、中国事情の第一人者であります。

ぶんぶくチャイナ(メルマガ)


中国の軍事拡大は日本にとって脅威なのか?(上)

集団的自衛権を行使することが出来る法案、安保法案が衆議院を通過した。

安倍首相はこれまで言ってこなかったが、ついに参議院の審議中に「中国の脅威」について言及した。衆議院の審議中には「中東での集団的自衛権」以外は念頭にない、と言っていたものの、それでは国民の理解が得られないため「じゃあ本音を言おうか」とパンドラの箱を開けたもの、なのだと思う。

でもこれで果たして集団的自衛権に反対している国民が

「あぁ、それじゃやっぱり集団的自衛権必要なのね」

となるだろうか?
たぶんその答えは「NO」だと思う。
僕も感覚的だけど、南沙諸島で行っている中国の行動(滑走路の建設)などについては少なからず、または漠然とした「脅威」を感じるものがあるし、尖閣諸島の問題でもこちらはもっと「脅威」を感じるのは確かである。

しかしだ、

南沙諸島についてはもともと台湾がその島を実効支配しており、中国からすれば台湾は「中国」である、と言う考えのものと、「それは歴史的に見て我々のもの」と主張しても無茶苦茶ではない上、、我々日本にとっては言わば関係のない話である。

じゃあ尖閣諸島はどうかというと、日中国交正常化交渉の際(40年前)、周恩来と田中角栄はその問題を棚上げ(または先送り)することによりその交渉を成立させた、と言う経緯がある。
棚上げというのはあまりいい言葉ではないが、いわば

「将来もっと良い知恵が出てくるだろう、、それを期待して今回は目をつぶろう」

と言うことだ。実に頭の良い解決策であろう。
だって、あいまいな領土問題など普通では解決するわけが無いのだから、、、
特に尖閣諸島のような無人島は特にね。

なので棚上げというのは叡智なんだと思う。
こんな小さな、しかも無人島をめぐって争って何になる、、と思うのだな。
ならばこの周辺を緩衝地帯にして両国とも均等に入ってこれるようにする、というのがもっとも良い解決策だと思うのだが、、それは難しいかなぁ~


中国の軍事拡大は日本にとって脅威なのか?(下)

さて結局僕達「素人」は中国の軍事拡大(と言われているもの)が我々日本にとって(ここ重要)脅威なのか、それとも脅威じゃないのか、それとも少なくとも「今は」脅威と捉える必要はないのか、、それは分からないのです。

これはたぶん殆どの人が想像や憶測で物を言っており(双方の立場共に)、それを聞いている人がいてその人達はその「想像で物を言ってる人たち」の言葉を信じてまた物を言ってるのですね。

じゃあなぜそんな想像や憶測が出てくるのか?
特に安保法案に賛成している人の立場から言うとそれは「漠然とした恐怖」なのだと思う。そしてそれはふるまいさんの言うように「いくら口で説明しても納得してもらえないもの」なのであろう。

「だって南沙諸島では実際に埋め立てを始めてるんでしょ?」
「あれって土地を勝手に自分の領土にしてるってことじゃないの?」
「尖閣諸島だってそうだね、中国の領海侵犯がひっきりなしにあるじゃない」
「それって将来は『日本も自分の領土に」しようとするってことでしょ?」

さてこんな「恐怖」にいくら「それはありません」と言っても「いやあるはず、だって中国だもの」と言われてしまえば、もうそれ以上説得することは出来ないのです。

これは、簡単に言ってしまえば高所恐怖症の人にハルカスの屋上に登ってもらい、手すりの近くまで連れてって「怖くないでしょ、手すりがあるし」って言ってるのと同じ気がするんですね。
要は、「怖いものは、怖いねん」ってことなので。。

ただ安保法案賛成の人たちも「戦争をしたい」とか「徴兵制を敷かないと」とか「戦前日本人が持っていた道徳観を取り戻す」とか思っている人は多くないだろう。永江さんが言ってるように、相手を牽制するため、もしくは抑止力にするための集団的自衛権、という考えの方がかなりを占めているんじゃないか、と思う。

しかし、安保法案賛成の人たちの中には「嫌中、嫌韓」で、それらの国に対抗するため(舐められないため)に日本も集団的自衛権から始まる正式な軍隊を持たねばならない、と思っている人も少なからずいる。それはまだ分かる。向こうがやってきたら、やり返せ、という単純な思想だから。

それより分からないのは今の閣僚19人のうち15人を占める日本会議という極右団体が目指す戦前回帰の思想である。そんなアナクロニズムな思想を今の我々に押し付けられたらたまったもんじゃないのだ。そしてそんな国会議員がうじゃうじゃいる、という今の御時世、、いったいどうなることやら、、、