「 2016年03月 」一覧

オムロン「家族目線」

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会社にオムロンからDMが届いたので「何かな?」と思ってあけてみた。

「家族目線」というカメラらしい。

カメラという点ではさほど珍しくないが、、

・SDKで開発できる
・安価(3万円ぐらい)
・スマホなどのアプリが用意されている

という点で「買ってテストしたい」と思ってしまった。
でFBに以下の文章で投稿してみた。

僕の知り合いにも何人かいるが、自分の両親がボケ始めてきて、しかも自分とは違う所に住んでいる場合こういうカメラで離れたところから「何をやっているか」を確認出来るのはこれから必須になってくるんだろうなぁ、、としみじみ。
これだと、自分の持っているスマホでその様子を見れる、ということで(どうやってるんだろう??)、言ってしまえばいつでも行動を覗こうと思えば覗けるので、プライバシーも問題はでてくるだろうけど、それとトレードオフで「安心」を得ることができる。
もちろん家の監視カメラとしても使うことができる(と思う)ので、うちの事務所とかでも試しで入れてみようかと検討中。。
3万円でプログラム開発用のSDKも提供されてるらしいので、かなり心が動く、、というより疼くわけです、、(笑)

すると同級生から以下の様な指摘をうけた

・かなりのボケの人には使えない
・ボケてない人からしたら「監視されてる」と思われ使いにくい
・異常があっても直ぐに駆けつけられない
・それだったらALSOKとかのサービスの方が良い

と中々散々だ。
確かにプライバシーの問題もあるので、カメラというのは使い方は慎重にしなくてはならないのは確か。
ただし、プライバシーを犠牲にしてまでも設置したほうが良い、と思う場面も昨今では多いはず。

まずは会社のオフィスに導入して試してみるか、、だな。


アーモンドの花

Almond

アーモンドの花が咲いていました。

去年とはワンコのお散歩コースを変えているため、この木の横を通ることがなくなっていたのですっかりと忘れておりました。

ソメイヨシノよりも少し早く満開になるこの花は、花の中心の色がとっても濃く、そして花ビラの先っちょもほんのりと濃くなっているのが特徴なんですね。

そして驚いたことに花ビラが散ってしばらくするとアーモンドの実がちゃんとなっているんです。当たり前と言えば当たり前ですがなんだか不思議な感覚ではありますな。


伊吹山の威容

伊吹山5

伊吹山に初めて登った。山の形はどこが頂上なんだろうか、と思ってしまうぐらいぐらい山の上部が吹っ飛んだような形をしている。もしかして伊吹山というのは昔火山だったところで、噴火で山の上部が変形したのではないか、、と思いつつ。

そして信仰の山でもある伊吹山は伊吹大明神と称せられ、古事記では「牛のような大きな白猪」、日本書紀では「大蛇」に例えられた。また古事記ではヤマトタケルがこの伊吹大明神と戦って敗れる、という物語がある。とまれ伊吹山というのはその威容な姿をもさることながら、昔から崇められてきた山であることには間違いない。

そして三合目を過ぎ、五合目辺りからその姿が僕らに迫ってくるときに神々しいまでの威容を感じずにはいられなくなり、今からこの山に登るのだ、と思うと身震いせずにはいられなくなるのだ。

しかし、この山の北側をご存知だろうか?

伊吹山は火山だったので元々が海の底にあったらしい。それ故、この山からは沢山の化石などが出てくるとともに、山自体が石灰質の地層が堆積して形成されているので、それがセメントの材料になるのだそうな。

なので、、、北側斜面はその材料の採掘場があり、山が山の体を無してないほどに削られているのである。
それは、まさに異様な姿としか言いようがない、美的にも、そして信仰的にも。


伊吹山登山

伊吹山10

しばらく縦走ばかりしていたため、こうした単独ピークハントは気分的にめちゃくちゃ楽であった。道はかなり石が多かったので、歩きにくかったことには間違いないが、斜度がそこほどでもないのと、土の質が滑りにくいものであったこと、また登山客が少なかったこともあって、比較的スムーズに登れたと思う。

時間も少し休憩を入れて2時間半ぐらいで登ることが出来た。なのでビギナーであれば3時間半ぐらいあれば十分登れるんじゃないかなぁ~?

天気は晴天なのでとても気持ちよかったが、頂上に行くに従って寒さが増し(当然なんだけど w)、枯れた樹の枝には樹氷のカケラみたいなものが見えた。しかしアホなことに防寒着を持って行ってなかったので非常に寒かったのであった。


大阪高低差学会に参加した(後編)

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「枚方中学校といえば、中学の時に試合行ったよね?」

何人かの野球部員だった友達に聞いてみたが、誰も覚えておらず、、、
確かにここに来た。そして相手の一学年上にピッチャーとすごく仲良くなった覚えがあるのよね、、、僕たちは彼のことを「ノーコンピッチャー」と呼んでたけど、めちゃくちゃフレンドリーに接してくれた。

枚方四中だった僕達の封建的な先輩後輩制度とは大違いだ。

なんで俺達のクラブはあぁだったんだろう・・・・
と思いながらこの坂を下っていた。
これもかなりきつい坂道だ。
ということは枚方中学は少し高台を水平に削って作られたんじゃないか?
そんな風に想像できる。

そう言えば枚方四中もまわりの道路よりも一段高いところに運動場があり、そして校舎はそれよりもさらに高い所に位置している。
運動場を見下ろすかの様だ。

そしてこの坂を降りたら、そこには「スリバチ池」が顔を表した。
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ぐるりを坂に囲まれた公園の中心に池がある。
この池の本名は「坊主池」というらしいが由来は知らない。

そして公園自体がスリバチ状になっている、というのは意外な環境をそこに作り出しているのだ。ここには「イキイキした子供たちがいる」のである。

「ガケのガキ」

ガケのガキ
その公園の名前は「坊主池公園」。 枚方市駅から歩いて15分とかからない所に位置する公園である。 大阪高低差学会の春のフィールドワ...

こんな住宅街の中にオアシスのようなところがある、というのは幸運としか言いようがない。

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それからこの写真ではわかりにくいが、僕たちは「細すぎ尾根」に入っていった。
ただぼんやりと歩いていた時はなかなか気づきにくいものであるが、右を見て、左を見ると、その「道」は両方がガケか坂になっており街の中に悠然と現れたまさに「尾根」なのであった。

もうここを歩いている時にはほとんどトランス状態!!(笑)

もちろん山などでは尾根を歩くというのは珍しくないが、街の中で尾根を歩く、という経験は実に稀なものだと言えるのではないか、、、しかもその道幅は2mぐらいか、、、

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そしてこの「細すぎ尾根」の先端にはこの配水場がある。
またこの配水場の横には鷹塚山遺跡があり、この遺跡から発掘された「銅製小型圏文鏡」はとても珍しいものであると、歴史の先生が言っておられました。

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そしてフィナーレを告げるのは、この網目模様を配したガケ。

今回の「大阪高低差学会・2016 春のフィールドワーク・御殿山〜枚方」のワッペンのデザインともなっているこのガケは元のガケの形に沿って美しく変形しており、見るものを圧倒させるものである、、、と今回一日高低差学会に参加させてもらい、その感覚が理解できた。

そしてみんなでわいわい喋りながら歩くこの工程はとっても楽しいものでした。

「機会があれば香里ケ丘なんかも面白いですよ!」と僕は主催者のSさんに言ったものである。


大阪高低差学会に参加した(中編)

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フェンスの前に立って多くの人が向こうの景色を見たり、下を覗いたり、写真を撮っているのが分かるだろうか?
これは何をやっているのかというと、台地状になっている土地とその下に位置している住宅街、それを分断している崖の狭間に立って、その高低差を楽しんでいるのである。

わかるかな?これが「楽しい」のが、、、

分かる人にはわかるが、分からない人には100年経ってもわからないだろう(笑)。

この様な地形がどうやって出来たのか?
歴史に詳しい先生に聞いてみると、

「土地が隆起したんだと思います」

とのことでした。
この1kmぐらい先には淀川が流れており、僕はその流れがこの土地を形作るのに何らかの影響を与えているのじゃないか?と考えていたのですが、果たしてどうなんでしょうか?

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これは禁野本町遺跡の説明。
この辺り(台地の上周辺)は平安時代には天皇のお狩場であり、また古墳時代の遺跡なども多数発掘されており、つまりはその時代からこの地形は存在していた、ことになります。

また旧陸軍禁野火薬倉庫跡もこの当たりにあった、というのはどういうわけなのでしょうか?
この様な言わば目立つ場所にわざわざ作る必要も無いと思うのですが、、まぁ当時(昭和初期)のこの辺りの状況は良くわかりませんが、もしかしてこの台地の下は既に住宅地となっていて「火薬倉庫」の様な危険なものをそれらの住宅と隔離するためにここに作ったのかもしれませんね、、、

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百済寺跡の碑。
百済王神社の階段を登って行くと、神社とその横に広場がある。
そこにこの「百済寺」の碑がある。

百済王神社に百済寺の碑。

同じ百済なんだけど、お寺が無くなって神社が残った、ということなのか、、、?

また、そこから宮之阪の方にまわって禁野橋を通って天の川を渡る。
そして市役所前から岡東町の古い町並みの中に入って行くともう一つの「百済王神社」の鳥居が出てくる。

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しかしこの鳥居の先には神社らしき立派なものは無く、言葉は悪いが掘っ立て小屋みたいな建物がそこにあるだけだった。
この2つの関係は何なのだろうか?
これは後の課題としてまた調べることにしよう、、、

さてそこから「枚方の直ぐ近くにもこんな町並みがあるのか?」という様な田舎の建物が並び、そこをぞろぞろ歩いて行くとついに出てくる

「ちょっといい階段」

がこの写真である。
う~ん、写真じゃなかなか「いい具合」が分からないけど、いいんです、ちょっとね(笑)

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この「岡東町」や「大垣内町」などは地名は知っているのだが、僕たち香里ヶ丘に住んでいたものとしては詳しく知らないし、通ったこと無いところだっていっぱいあった。

自分が「知っているはず」だったところが実は全く知らなかったという「新たな発見」は逆に僕たちをワクワクさせてくれたのであった。

「大阪高低差学会・2016 春のフィールドワーク・御殿山〜枚方」
http://osakakoteisa.blog.fc2.com/blog-entry-36.html


大阪高低差学会に参加した(前編)

「大阪高低差学会・2016 春のフィールドワーク『御殿山と枚方の凸凹地形散歩』」に参加した。

「大阪高低差学会に参加するねん」
というと
「ん?それって何をする学会?」
何人もの人にそう聞かれた。

聞かれる度に懇切丁寧に教えてあげるのであるが、教えても全く理解できない人が何人もいた。
理解できない人は異口同音に「それって何が面白いの?」と尋ねてくる。
その「面白さ」はたぶん口で言ってもわからないやろうし、ましてや参加してもわからないだろうなぁ、、、

ともあれ、、

枚方市駅のとなり、御殿山駅を降りてロータリーの方へ向かう。
少し時間が早かったのでまだ人はまばらだったが、集合時間が近づくにつれ、多くの人で溢れ道をかなりの幅で占拠するぐらいに膨らんだのであった。

「こんなに人気あるんやなぁ、、、」

これが僕の第一印象であった。

そして諸々の説明があってその総勢70人ぐらいの人たちがぞろぞろと歩き始めた。
御殿山から少し行ったところでまずはこんな上り坂が出現した。

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御殿山神社(駅の由来となった山)へと続く道は、気にしないで歩いていたら「ただの坂道」または「ただの階段」なのであるが、この道は鳥瞰図的に見ると巨大な台地へ続く登り口、だと言うことがわかる。
僕たちはこの台地の縁を歩いたり、また再び台地へと登っていく道をひたすら登ったりして地形の原型を頭に思い浮かべて行ったのであった。

そしてこの階段を見てください。
これは会が作った地図では「グレートな階段」と名付けられているもので多くの人がここに足を止めて、そのグレートさを味わっていたのでした。

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そしてフィールドワーク最大の上り坂である「グレートな自転車坂」の写真がこれである。

この坂道は禁野弾薬庫跡であった台地へと続く道です。説明では過去にこの弾薬庫で大爆発が起きたことなどの説明を受けながら、この坂道をヒーヒー言いながら登って行きました。

また「禁野」と言うのは昔、天皇や貴族などの狩場があったところらしく(一般の人が狩りを禁じられた場所というところから)、ここ枚方や交野は「樟葉宮」という都から近かったこともあり、そう言う「場所」となったのだと思われます。

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ちなみにこの自転車坂、同級生の子ども達が3年間ここを登って学校に通ったという話を聞きました。
「自転車坂」というのはどういう経緯でその名前が付けられたのかは知りませんが、普通のおっちゃんおばちゃんでは自転車に乗りながら登って行くのは不可能なぐらいの角度と距離がある。
でもきっと中学生・高校生なら意地でも自転車を降りずに登っていったのだろうと想像できる。
そんな子ども達も「グレイトな子ども達」って言ってあげて良いかもしれません。

「大阪高低差学会・2016 春のフィールドワーク・御殿山〜枚方」
http://osakakoteisa.blog.fc2.com/blog-entry-36.html


伊豆沼「ひとりカモ」

伊豆沼

この水鳥はカモなのだろうか、、それともオオバンなのか、、??
この影でだけではわからぬが、見る人がみれば分かるカモ!!


伊豆沼 日没

伊豆沼

旅館のおばさんは親切に「野鳥センターがあるからね、そこに行ったらいいわ!」と教えてくれた。その言葉通りそこにたどり着くと予想通り野鳥の姿は殆ど見えないが、水中に素潜りしていたカモらしき頭がその姿を現したかと思うと、また直ぐに水中へと挑んでいく。カモはとっても働き者だなぁ、、とじっとそれをレンズ越しに狙っている僕はその気ぜわしそうに働くすがたと自分の姿を重ね合わせて感心するばかり、、、。

そうこうしていくうちに太陽は深く沈み、燃えるように落ちゆく太陽の姿を捉えることもなく、真っ赤に染まった夕暮れの雲たちに向かってシャッターを切ることもなく、この時間を迎えた。

はぁ、、畔の石垣に足を滑らして膝を擦りむいて血だらけになるわ、、日没写真は撮れないわ、とさんざんな伊豆沼撮影でした・・・あぁ、足が痛い。


金時豆のおもひで

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金時豆、、、この響きを聞くたびにビビビと来るのは、主に子供の頃の記憶に起因するものだから、なのかもしれない。
我が家で金時豆が好きなのは僕しかいなかった。
これは何を意味するかというと、

「母親が金時豆を作ってくれる頻度が極端に低い」

という悲しい悲しい振る舞いをされるのである。

いくら「作ってくれ!」と言っても「アンタだけやし!」と言われてしまうとぐうの音も出すことができず、ひたすら金時豆を作ってくれる「気」になるのを待つだけであった。

そして、気まぐれに金時豆を作ってくれた時には、まだ冷えていないうちからそれを箸でつまみ食いし、叱られるのも織り込み済みであった。また鍋で作られたそれは、当然一日で食べきれず、複数日に分けて食べることになる。そして驚いたことに日を経る毎にそれは水分を蒸発させ味が凝縮し、美味さが頂点に達した時に我慢しきれずに全部食べてしまうのでありました。

しかしある日、フジッコの金時豆をこれまた気まぐれで買ってきた母親。それをすかさず見届け、盗み食いした時の美味しさといったら、母親が作って数日置いていて味が凝縮した金時豆よりも遥かに美味しかったのだ。

う~む、これは美味すぎる、、とつまみ食いしていたら止まらなくなり、結局全部食べてしまうおいら、、、もう節操の欠片もないのであった。どういう製法で作っているのかは知らないが、フジッコの金時豆は甘みと塩加減が絶妙で、しかも皮と中身が一体化しており、分離してしまう母親のものとは一線を画していたのであった。

・・・そんな金時豆が、今週泊まっているホテルの朝食バイキングに並んでいた。もちろんそれを「大人取り」したおいら、、どうかな?と食べてみた味はフジッコ風の金時豆だったのだ!!

毎朝の朝食がにわかに楽しくなった。

金時豆は写真のようにご飯の友として強烈な存在感で輝いている。
「大人取り」して「大人食い」ちょっと気持ち悪くなるけどたまにはいいだろ?(笑)