あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~

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録画していたNHKテレビ「あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~」という番組を見た。

昭和19年、アメリカが沖縄に上陸する前に14歳から17歳までの少年兵を新たに徴兵し、彼らに武器をもたせて日本軍兵士にしたてたのである。その目的はアメリカ軍の本土上陸(沖縄上陸ではない)を阻止するために沖縄の2つの拠点でゲリラ作戦を行わせるためだった。

その名も「護郷隊」。「郷(故郷を」「護(守る)」ための部隊。

君たちの故郷(または親や兄弟)を守る為に戦くのだ、というスローガンがここにこもっている。単に若い兵士が出兵で不足してきたため、子供たちを急遽兵士として戦いに借り出すための口実として。

このために軍部は法律をわざわざ改定し、14歳から兵役につけるようにした。そしてその前提条件としては「徴兵」ではなく「志願」すること、であった。
しかしそれはあくまでも建前であって、集められた当時の少年たちの前で士官はこんな事を言った。

「逃げるのは構わないが、逃げたら死刑である」

これは言われた子ども達にとっては(大人でもそうだが)徴兵そのものである。建前うんぬん関係なく、強制連行そのものである。

そうやって徴兵された子ども達は洗脳されていく。ある時はもう嫌というほど殴られて、またある時は日本刀で脅かされながら、、、彼らは「敵を10人殺したら死んでもいいぞ」と上官から「命令」される。10人殺すまでは「この状態から逃れることは出来ないのだ」。

彼らは自分が生まれ育った家を焼き払い、友達が死んでいっても「何も感じることが出来ず」まさに殺人鬼のロボットのようになっていくのであった。

さて、以前安保法案に関連して「徴兵制」が復活するのではないか「だから安保法案反対」というような事を法案反対派が「反対理由」としてスローガンにしていた。
それに対して賛成派は「徴兵制など絶対にありえない」という。その理由の一つには憲法がそれを許してないこと(憲法を無視するような法案を通そうとしてるのにね・・・)、そしてもう一つが「徴兵制で集められた兵隊など『使い物にならない』からである」という話。

その根拠というのがこの岡田真里さんという陸上自衛隊予備自衛官(現役なのね)のブログである。

岡田真理のほじくりコラム「徴兵されないか不安なみなさんへ。」

さてまずはこの方の衝撃的な文章

結論から言うと、みなさんが徴兵されることは絶対にありません。
なぜなら、「あなたたちは使い物にならないから!」です。
嫌な言い方してすみません。
でも、事実、そうなんです。

「使い物にならない」から徴兵制はない。

なんという分かりやすい理屈だろうか。
会社だってそうである、使いものにならない人を雇いたいと思うだろうか?思わないよね?

だから徴兵制はない。

のだそうだ。
その「使い物になる」か「ならない」かの分かれ目は「志願するか、しないか」だそうだ。

めちゃくちゃだよなぁ、、と思う。
よくこんなものを読んで「だから徴兵制はないのだ」という理屈になるのかが不思議。

まぁ僕も基本的には徴兵制などには絶対にならないと思います。理由はこれだけ「集団的自衛権」だけでも反対者がいるのに(たぶん反対のほうが多い?)、徴兵制などというのはあまりにも「時代に合わない」からである。ただし「経済的徴兵制」にはなると思うし、それは今の自衛隊ですら少なからずあるんじゃないでしょうか?違うかな、、自衛隊の隊員はすべて「国を守るため」という尊い意思を持ち志願してきた逞しいプロ集団なのだろうか、、、

話を「あの日、僕らは戦場で」に戻す。
くりかえすが、ここで集められた少年兵士たちは徴兵(または強制)によって集められた少年たちである。彼らは何年訓練をして戦場に立たされたであろうか?そして彼らが集められた理由はなんだったのか??

インタビューに答えた少年兵生き残りの老人がこうつぶやく

「友達が死んでも、相手が死んでも、そして自分が死んでも、何も思わんかった・・・」

戦争とは人間をそんな「無感情」の生き物に仕立てていくのである。逆に言うと人の心を持っていたら戦争などできないのではないだろうか。
「使い物にならない」人も「使われる」のだ、それが戦争である。

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