裏道の参道を降りていく。
「裏」であるにも関わらず、多くの神様がそこかしこに祀ってある。
また人の墓なのだろうか、家族でお参りに来る人たちの姿もここでは見ることができる。
ふとこの苔むしたキツネの像が目に入った。
顔の下半分が完全に苔に覆われていて、まるでヒゲを生やしたかのように映る。
でもその目は険しく、キッと向こうを見つめたまま動かない。
ふと、これはオオカミではないのか、、、という荒唐無稽な思いに駆られる。
そんな勇猛な目をしているのだ。
「 写真 」一覧
伏見稲荷 (千本鳥居)
伏見稲荷の鳥居は「千本鳥居」と言われている。ホントに千本あるのか?というのはまさに愚問。吉野山など「中千本」とか名付けられてはいるもののその正確な数は誰も知らないんじゃないかな?
まぁ、そんな事はどうでも良いのだが、この「鳥居」を撮るっていうのは実は結構難しかったりする。
なぜか?
それはまずは人が多すぎる、のである。最近は外国人の観光客が増えて今まで以上に「人が居ない」という絵面を撮るのがなかなか難しい。撮っていたらどうしても人が入ってきて、人がひける状態がなかなかやってこない。
それと案外鳥居が綺麗じゃない、ってこと。
中には新しく塗り直し、名前なども彫り直しているものもあるが、たいがいのやつは結構汚れていたり色が褪せていたりするのだなぁ、、これが。
そして最後は、暗いので普通に撮ると手ぶれを起こすのである。
なので、この写真もかなりISO感度を上げて撮っている(ISO3200)。
などなどであります。
で、今まで何回か伏見稲荷に来たけど、これが一番まともな写真です、、はい。
伏見稲荷
沢山の同級生が桜の名所、背割堤(八幡市)へ足を運んでいる写真をアップしておりましたが、あの茫洋とした桜並木と人の恐ろしいほどの多さには心が動かず、アマノジャクなわたくしはこの「赤」とのコントラストを撮りたくて伏見稲荷に行っておりました。今日は雨ですが、果たして花散らしの雨になるのか、どうなのか、、、
アシボソアミガサタケ?
この手の黒いアミガサタケはトガリアミガサタケかオオトガリアミガサタケかと思っておりましたが、実はこれアシボソアミガサタケではないか??と思っております。
このブログでは二つのアミガサタケの違いをこう書かれております。
トガリアミガサタケについて,保育社「原色日本新菌類図鑑(Ⅱ)」には次のように書いてあります。
『トガリアミガサタケ Morchella conica Pers.』
中形菌で高さは通常10cm内外,ときには16cmに及ぶことがある。
頭部は円錐形,卵状円錐形あるいは円錐状円筒形,先端は鈍頭あるいは鋭頭,下縁は茎からわずかに離れ隔生する。
肋脈は縦脈がよく発達し多少平行する傾向があり,横脈は少なく,その発達も不良なのでくぼみは長味をおびて狭い。肋脈の稜は初め軟毛を生じ,後に黒色となる。子実層面は帯褐色あるいはオリーブ褐色を呈する。
茎は円筒形でほぼ同幅で長さは頭部の長さとほぼ同長,上方は頭部の幅の約2/3内外,
基部はふくれてわずかに縦溝があり,また顆粒体がある。
アシボソアミガサタケについては,次のように書いてありました。
『アシボソアミガサタケ Morechella deliciosa Fr.』
小形菌で高さ5cm内外,
頭部は楕円形あるいは類円筒形,先端はやや鋭頭,下縁はわずかに茎から離れ隔生する。
肋脈はよく発達し多少平行状,横脈はわずかに発達し,くぼみは狭く長い。脈の稜は暗褐色~黒味をおび,子実層面は褐色~オリーブ色を呈する。
茎は円筒形,頭部より短くあるいはほぼ同長,上方はその幅頭部の1/2内外,
基部はしばしば膨大してわずかに凹孔があり,幾分粉状,白色あるいは帯黄色。
読んでも良く違いが分からない・・・(笑)
全体的に小さく、足が細いものはアシボソアミガサタケ、、、と簡単に考えてもいいのかな?
アーモンドの花
アーモンドの花が咲いていました。
去年とはワンコのお散歩コースを変えているため、この木の横を通ることがなくなっていたのですっかりと忘れておりました。
ソメイヨシノよりも少し早く満開になるこの花は、花の中心の色がとっても濃く、そして花ビラの先っちょもほんのりと濃くなっているのが特徴なんですね。
そして驚いたことに花ビラが散ってしばらくするとアーモンドの実がちゃんとなっているんです。当たり前と言えば当たり前ですがなんだか不思議な感覚ではありますな。
伊吹山の威容
伊吹山に初めて登った。山の形はどこが頂上なんだろうか、と思ってしまうぐらいぐらい山の上部が吹っ飛んだような形をしている。もしかして伊吹山というのは昔火山だったところで、噴火で山の上部が変形したのではないか、、と思いつつ。
そして信仰の山でもある伊吹山は伊吹大明神と称せられ、古事記では「牛のような大きな白猪」、日本書紀では「大蛇」に例えられた。また古事記ではヤマトタケルがこの伊吹大明神と戦って敗れる、という物語がある。とまれ伊吹山というのはその威容な姿をもさることながら、昔から崇められてきた山であることには間違いない。
そして三合目を過ぎ、五合目辺りからその姿が僕らに迫ってくるときに神々しいまでの威容を感じずにはいられなくなり、今からこの山に登るのだ、と思うと身震いせずにはいられなくなるのだ。
しかし、この山の北側をご存知だろうか?
伊吹山は火山だったので元々が海の底にあったらしい。それ故、この山からは沢山の化石などが出てくるとともに、山自体が石灰質の地層が堆積して形成されているので、それがセメントの材料になるのだそうな。
なので、、、北側斜面はその材料の採掘場があり、山が山の体を無してないほどに削られているのである。
それは、まさに異様な姿としか言いようがない、美的にも、そして信仰的にも。
伊吹山登山
しばらく縦走ばかりしていたため、こうした単独ピークハントは気分的にめちゃくちゃ楽であった。道はかなり石が多かったので、歩きにくかったことには間違いないが、斜度がそこほどでもないのと、土の質が滑りにくいものであったこと、また登山客が少なかったこともあって、比較的スムーズに登れたと思う。
時間も少し休憩を入れて2時間半ぐらいで登ることが出来た。なのでビギナーであれば3時間半ぐらいあれば十分登れるんじゃないかなぁ~?
天気は晴天なのでとても気持ちよかったが、頂上に行くに従って寒さが増し(当然なんだけど w)、枯れた樹の枝には樹氷のカケラみたいなものが見えた。しかしアホなことに防寒着を持って行ってなかったので非常に寒かったのであった。
大阪高低差学会に参加した(後編)
「枚方中学校といえば、中学の時に試合行ったよね?」
何人かの野球部員だった友達に聞いてみたが、誰も覚えておらず、、、
確かにここに来た。そして相手の一学年上にピッチャーとすごく仲良くなった覚えがあるのよね、、、僕たちは彼のことを「ノーコンピッチャー」と呼んでたけど、めちゃくちゃフレンドリーに接してくれた。
枚方四中だった僕達の封建的な先輩後輩制度とは大違いだ。
なんで俺達のクラブはあぁだったんだろう・・・・
と思いながらこの坂を下っていた。
これもかなりきつい坂道だ。
ということは枚方中学は少し高台を水平に削って作られたんじゃないか?
そんな風に想像できる。
そう言えば枚方四中もまわりの道路よりも一段高いところに運動場があり、そして校舎はそれよりもさらに高い所に位置している。
運動場を見下ろすかの様だ。
そしてこの坂を降りたら、そこには「スリバチ池」が顔を表した。
ぐるりを坂に囲まれた公園の中心に池がある。
この池の本名は「坊主池」というらしいが由来は知らない。
そして公園自体がスリバチ状になっている、というのは意外な環境をそこに作り出しているのだ。ここには「イキイキした子供たちがいる」のである。
「ガケのガキ」
こんな住宅街の中にオアシスのようなところがある、というのは幸運としか言いようがない。
それからこの写真ではわかりにくいが、僕たちは「細すぎ尾根」に入っていった。
ただぼんやりと歩いていた時はなかなか気づきにくいものであるが、右を見て、左を見ると、その「道」は両方がガケか坂になっており街の中に悠然と現れたまさに「尾根」なのであった。
もうここを歩いている時にはほとんどトランス状態!!(笑)
もちろん山などでは尾根を歩くというのは珍しくないが、街の中で尾根を歩く、という経験は実に稀なものだと言えるのではないか、、、しかもその道幅は2mぐらいか、、、
そしてこの「細すぎ尾根」の先端にはこの配水場がある。
またこの配水場の横には鷹塚山遺跡があり、この遺跡から発掘された「銅製小型圏文鏡」はとても珍しいものであると、歴史の先生が言っておられました。
そしてフィナーレを告げるのは、この網目模様を配したガケ。
今回の「大阪高低差学会・2016 春のフィールドワーク・御殿山〜枚方」のワッペンのデザインともなっているこのガケは元のガケの形に沿って美しく変形しており、見るものを圧倒させるものである、、、と今回一日高低差学会に参加させてもらい、その感覚が理解できた。
そしてみんなでわいわい喋りながら歩くこの工程はとっても楽しいものでした。
「機会があれば香里ケ丘なんかも面白いですよ!」と僕は主催者のSさんに言ったものである。
大阪高低差学会に参加した(中編)
フェンスの前に立って多くの人が向こうの景色を見たり、下を覗いたり、写真を撮っているのが分かるだろうか?
これは何をやっているのかというと、台地状になっている土地とその下に位置している住宅街、それを分断している崖の狭間に立って、その高低差を楽しんでいるのである。
わかるかな?これが「楽しい」のが、、、
分かる人にはわかるが、分からない人には100年経ってもわからないだろう(笑)。
この様な地形がどうやって出来たのか?
歴史に詳しい先生に聞いてみると、
「土地が隆起したんだと思います」
とのことでした。
この1kmぐらい先には淀川が流れており、僕はその流れがこの土地を形作るのに何らかの影響を与えているのじゃないか?と考えていたのですが、果たしてどうなんでしょうか?
これは禁野本町遺跡の説明。
この辺り(台地の上周辺)は平安時代には天皇のお狩場であり、また古墳時代の遺跡なども多数発掘されており、つまりはその時代からこの地形は存在していた、ことになります。
また旧陸軍禁野火薬倉庫跡もこの当たりにあった、というのはどういうわけなのでしょうか?
この様な言わば目立つ場所にわざわざ作る必要も無いと思うのですが、、まぁ当時(昭和初期)のこの辺りの状況は良くわかりませんが、もしかしてこの台地の下は既に住宅地となっていて「火薬倉庫」の様な危険なものをそれらの住宅と隔離するためにここに作ったのかもしれませんね、、、
百済寺跡の碑。
百済王神社の階段を登って行くと、神社とその横に広場がある。
そこにこの「百済寺」の碑がある。
百済王神社に百済寺の碑。
同じ百済なんだけど、お寺が無くなって神社が残った、ということなのか、、、?
また、そこから宮之阪の方にまわって禁野橋を通って天の川を渡る。
そして市役所前から岡東町の古い町並みの中に入って行くともう一つの「百済王神社」の鳥居が出てくる。
しかしこの鳥居の先には神社らしき立派なものは無く、言葉は悪いが掘っ立て小屋みたいな建物がそこにあるだけだった。
この2つの関係は何なのだろうか?
これは後の課題としてまた調べることにしよう、、、
さてそこから「枚方の直ぐ近くにもこんな町並みがあるのか?」という様な田舎の建物が並び、そこをぞろぞろ歩いて行くとついに出てくる
「ちょっといい階段」
がこの写真である。
う~ん、写真じゃなかなか「いい具合」が分からないけど、いいんです、ちょっとね(笑)
この「岡東町」や「大垣内町」などは地名は知っているのだが、僕たち香里ヶ丘に住んでいたものとしては詳しく知らないし、通ったこと無いところだっていっぱいあった。
自分が「知っているはず」だったところが実は全く知らなかったという「新たな発見」は逆に僕たちをワクワクさせてくれたのであった。
「大阪高低差学会・2016 春のフィールドワーク・御殿山〜枚方」
http://osakakoteisa.blog.fc2.com/blog-entry-36.html
大阪高低差学会に参加した(前編)
「大阪高低差学会・2016 春のフィールドワーク『御殿山と枚方の凸凹地形散歩』」に参加した。
「大阪高低差学会に参加するねん」
というと
「ん?それって何をする学会?」
何人もの人にそう聞かれた。
聞かれる度に懇切丁寧に教えてあげるのであるが、教えても全く理解できない人が何人もいた。
理解できない人は異口同音に「それって何が面白いの?」と尋ねてくる。
その「面白さ」はたぶん口で言ってもわからないやろうし、ましてや参加してもわからないだろうなぁ、、、
ともあれ、、
枚方市駅のとなり、御殿山駅を降りてロータリーの方へ向かう。
少し時間が早かったのでまだ人はまばらだったが、集合時間が近づくにつれ、多くの人で溢れ道をかなりの幅で占拠するぐらいに膨らんだのであった。
「こんなに人気あるんやなぁ、、、」
これが僕の第一印象であった。
そして諸々の説明があってその総勢70人ぐらいの人たちがぞろぞろと歩き始めた。
御殿山から少し行ったところでまずはこんな上り坂が出現した。
御殿山神社(駅の由来となった山)へと続く道は、気にしないで歩いていたら「ただの坂道」または「ただの階段」なのであるが、この道は鳥瞰図的に見ると巨大な台地へ続く登り口、だと言うことがわかる。
僕たちはこの台地の縁を歩いたり、また再び台地へと登っていく道をひたすら登ったりして地形の原型を頭に思い浮かべて行ったのであった。
そしてこの階段を見てください。
これは会が作った地図では「グレートな階段」と名付けられているもので多くの人がここに足を止めて、そのグレートさを味わっていたのでした。
そしてフィールドワーク最大の上り坂である「グレートな自転車坂」の写真がこれである。
この坂道は禁野弾薬庫跡であった台地へと続く道です。説明では過去にこの弾薬庫で大爆発が起きたことなどの説明を受けながら、この坂道をヒーヒー言いながら登って行きました。
また「禁野」と言うのは昔、天皇や貴族などの狩場があったところらしく(一般の人が狩りを禁じられた場所というところから)、ここ枚方や交野は「樟葉宮」という都から近かったこともあり、そう言う「場所」となったのだと思われます。
ちなみにこの自転車坂、同級生の子ども達が3年間ここを登って学校に通ったという話を聞きました。
「自転車坂」というのはどういう経緯でその名前が付けられたのかは知りませんが、普通のおっちゃんおばちゃんでは自転車に乗りながら登って行くのは不可能なぐらいの角度と距離がある。
でもきっと中学生・高校生なら意地でも自転車を降りずに登っていったのだろうと想像できる。
そんな子ども達も「グレイトな子ども達」って言ってあげて良いかもしれません。
「大阪高低差学会・2016 春のフィールドワーク・御殿山〜枚方」
http://osakakoteisa.blog.fc2.com/blog-entry-36.html