時々面白いものを買う。
いやでも「京都のお土産」と言ったら「八つ橋」は定番だ。なので「面白い」というのは語弊があるかもしれないが、それをモザンビークから来た彼が買う、というのはなんとも意外ではある。
でもこの表情を見たら何とも嬉しそうである。
確かこの店は清水寺に向かう途中で試食するために入ったお店である。その試食でたぶん「これを買おう」と思ったのであろう、清水寺からの帰路、前に入ったこのお店にその試食してこれだと決めたものを買い求めたのであった。
なんと律儀な性格なのだろうか、と思った。
写真とか、エッセイとか、きのことか、
時々面白いものを買う。
いやでも「京都のお土産」と言ったら「八つ橋」は定番だ。なので「面白い」というのは語弊があるかもしれないが、それをモザンビークから来た彼が買う、というのはなんとも意外ではある。
でもこの表情を見たら何とも嬉しそうである。
確かこの店は清水寺に向かう途中で試食するために入ったお店である。その試食でたぶん「これを買おう」と思ったのであろう、清水寺からの帰路、前に入ったこのお店にその試食してこれだと決めたものを買い求めたのであった。
なんと律儀な性格なのだろうか、と思った。
この滝でこれをするために何分並んだろうか?この日は観光客も多かったので、ずらっと並んだ行列に僕は見ただけでノーサンキュ。でもセルジオは「当然やるでしょ」という嫁さんの「並ぶよ」の行動に一も二もなく同行する。たぶん日本人も「これって何の意味があるのん?」と思ってはいるんだろうけど、東大寺の柱の穴くぐりと一緒で「やることに意味がある」のかも知れないね、、(笑)
三人仲良くパチリ、と。
清水寺に向かう道には多くの露天がでていた。
多くは土産物屋なのだが、何故かセルジオは帽子を売っている露天に立ち寄りその中のソフトハット(ハンフリー・ボガートが被りそうな w)を手にとって
「僕は帽子が好きなんだ」
と僕にささやいた。
でもその帽子は店の親父が「それわなぁ、高いぞ~」と言うように1万5千円もした。
とても気軽に買う、というお値段ではない。
もちろん彼もそれを買うのははばかれたようで、そのままその店を後にした。
たぶん、この帽子も彼にとっては「好きのものを記念に」と思っていたのかな?と想像している。そんなことなら僕の帽子のどれかをプレゼントすれば良かったかな?
それともそんな使い古しなんか要らないかな?
「記念」と言う意味では例え身につけなくても良かったような気もする。
清水寺の本堂にて祈るセルジオ。
事前に聞いていたがモザンビークではキリスト教が40%を占め、イスラム教はすこし少なく18%となっており、今回来日するモザンビーク人の中ではイスラム教の人が一人だけいたらしい。
ただイスラム教だったら食べるものの制約があるため、ホームスティ先が決まった時点でホストファミリーの方には通知があるはずなので、間違いなくセルジオはキリスト教徒なのだろう。
そんな言わば異教徒のセルジオが仏教の形式で祈りを捧げている。
たぶんその姿が珍しかったのだろう、周りの人たちも少し奇異な表情で眺めている。
でも当の本人はうちの嫁さんがやっていたことを注視し、そのやり方を覚えて同じようなしぐさでそれを行っている。実は後ろに立っている大河などもこの様な事をするのは初めてに違いないし、大河の後ろに並んでいた人たちも多かれ少なかれ大差などないはずだ。
ただひとつ違うのは大方の日本人の様に「祈る」というのをある節目にしか行わないのであるが、彼はたぶんそれを日常的におこなっているのかもしれない、と言うこと。
その「祈り」の敬虔さ加減におそらく置いては大河などの比ではないだろう、、、。
そうやって見れば「型」こそ違えどその真摯さにおいてとっても様になっているではないか。
清水の舞台で撮った一枚。
僕の一番のお気に入りなんやけど、いかんせんちょいブレしてまして・・・・。
ほんとねぇ、なんでこんな時にしっかりホールディングしてないかなぁ、、、
それは置いといて、この写真を清水寺からの帰り道、喫茶店に入った時にセルジオに見せた。
「これね、一番のベストショットやで」(英語で言いましたけどね w)
そう言うと僕のカメラを「貸してくれる」と言って手に持つと僕の顔を撮ってくれた。
その一枚がこれ、、
男前やわ(笑)
なかなか、仲の良い友達の様だ。
でも友達でも案外こんな風に写真を撮るのはあまりないかもしれない。
これは冷静な目で見れば「特別な出会いを楽しんでいる」ということになろうか、、
理屈っぽく言えば、お互いにお互いを楽しませようとしてやっている、つまり気を使ってやっていることになる。
しかしそれは「お互いに」やっているからこそ何か共感出来るもの、があるんじゃないか?
そんな風に思うのだ。
ついこの前までは別の国でまったく知らないまま居た人同士が、何の縁があってか知らないが、同じ屋根の下で寝て、同じリビングで食事をし、同じ電車に乗って旅に出る。
それはもう何億分の1の偶然としか言いようがないが、そんな偶然がなんとも楽しいではないか、、
そんな偶然の笑顔がここにある。
このあたりの店でセルジオはお土産を一つ買った。
でもたぶんそれは自分への記念のお土産だったのだろう、、、深い話は聞かなかったが、多分そうだ。
そのお土産は「まねきねこ」キーホルダーであった。
一生懸命嫁さんがまねきねこはお金を呼びこむのだ、と説明してたが、さてどれぐらいそれが伝わったのか・・・。
彼は将来「バンカー(銀行員)になる」と言っていた。
「今はマスの勉強をしているよ」と言ったのだがこの「マス」の意味が分からなかったが、嫁さんは「数学やん」と教えてくれたので「あぁ、、Mass じゃなく Math なのね」と納得した。
そらそうですな、なんで銀行員を目指している人が「Mass」の勉強をするのだ(笑い)
まぁそんなことは良い。でも「まねきねこ」はバンカーを目指している彼には丁度いいお土産ではないだろうか、、、
モザンビークから来た青年がいったい何に興味を持つのか???
それってかなり興味深い話。
ただ、モザンビークから来た、というだけでその誰もが同じものに興味を持つ、っていうことはありえない。もちろん日本人がアフリカに行った時、みな一様に同じものに感心を示すなんてあり得ないもんね。
ただそれでもある一定の法則、みたいな事はあるかもしれない。
が、これは予想外??(笑)
何故にマクド?何故にタワーサイズ??
モザンビークのセルジオに「この神社の神様はキツネなんだよ」と説明した。すると彼は怪訝な顔をした。僕はたぶん「神社」というものが分からないのかもしれないと思った。なので日本には『神道』という宗教があって、その宗教の教会みたいなものが「神社」であること、そして神道には神様は沢山いることなどを説明した。では「何故キツネが神様なのだ?」と質問されたらその答えはアイドントノーであった。
かくも不思議な宗教である日本神道、、、日本に住んでいても案外知らないことがたくさんあるんだよなぁ~~
なので調べてみた。
するとキツネは農業の神様である稲荷神の使いであること。またネズミなどのお米に大敵なものを捕食する米作にとってはありがたい存在であることにより「使い」になったのではないか、と言われているらしい。
「今、外国人の一番人気があるのは伏見稲荷らしい」
嫁さんはホームスティの人が来たらどこに行こうか?と言う話をしていたときにどこからかそんな情報得てきた。確かに以前ハイキングで伏見稲荷に行った時の外国人(特に中国人が多かったな)の多かったこと多かったこと、、、。やはりお目当てはあの千本鳥居なんだろうなぁ、、よく「絶景スポット」という写真集を見た時に必ず載ってるもんなぁ、、、
また、伏見稲荷に行って同じ電車(京阪)に乗って四条まで行くとそこから清水寺に行けるので、2つの観光地を回れるコースとしては言わば「京都の黄金コース」ではないか、、、。
そう考えて、もし本人に希望がなければこのふたつを掛け持つことにしたのであった。
こちらの写真はなかなか面白い。
大河くんがお参りの仕方を教えているのでしょうか?(笑)