「 2015年08月 」一覧

ザラエノヒトヨタケ

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こんな土の上からすっくと出ているザラエノヒトヨタケ。
「ヒトヨタケ」の仲間なので、あっという間(一夜じゃないらしいが、、)に無くなってしまう、とっても儚いキノコ。

ザラエノヒトヨタケとは漢字で「粗柄一夜茸」と書く。

そうやってみると柄のところがザラザラしているな。

傘は白く透明で放射状の溝線があり、反り返ってくるのが特徴。

『似ているキノコ』

・(コツブ)ヒメヒガサヒトヨタケ
http://trace.kinokoyama.net/fungi/fungi-zukan/himehigasa-hitoyotake-fungi.htm

・キツネノハナガサ
http://www.s-kinoko.com/kininaru-html/kinoko-html-ka-ko/kitunenohanagasa.html


四天王寺万灯供養 その2

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露出時間8秒。
その間に前を横切った人は「透明人間」として現れております。

絞り f/10 露出時間 8秒


四天王寺万灯供養 その1

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何年かぶりの四天王寺万灯供養。
露光を少し長めにして撮ってみると真ん中に写っている親子(らしき二人)だけが静止しているのだろうか、面白い絵になりました。場所は四天王寺六時堂、時間は8時ぐらいだったろうか。
背景に写っている空はまだ青みを残しており、まるで雲が爆発しているようにも見えます。


あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~

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録画していたNHKテレビ「あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~」という番組を見た。

昭和19年、アメリカが沖縄に上陸する前に14歳から17歳までの少年兵を新たに徴兵し、彼らに武器をもたせて日本軍兵士にしたてたのである。その目的はアメリカ軍の本土上陸(沖縄上陸ではない)を阻止するために沖縄の2つの拠点でゲリラ作戦を行わせるためだった。

その名も「護郷隊」。「郷(故郷を」「護(守る)」ための部隊。

君たちの故郷(または親や兄弟)を守る為に戦くのだ、というスローガンがここにこもっている。単に若い兵士が出兵で不足してきたため、子供たちを急遽兵士として戦いに借り出すための口実として。

このために軍部は法律をわざわざ改定し、14歳から兵役につけるようにした。そしてその前提条件としては「徴兵」ではなく「志願」すること、であった。
しかしそれはあくまでも建前であって、集められた当時の少年たちの前で士官はこんな事を言った。

「逃げるのは構わないが、逃げたら死刑である」

これは言われた子ども達にとっては(大人でもそうだが)徴兵そのものである。建前うんぬん関係なく、強制連行そのものである。

そうやって徴兵された子ども達は洗脳されていく。ある時はもう嫌というほど殴られて、またある時は日本刀で脅かされながら、、、彼らは「敵を10人殺したら死んでもいいぞ」と上官から「命令」される。10人殺すまでは「この状態から逃れることは出来ないのだ」。

彼らは自分が生まれ育った家を焼き払い、友達が死んでいっても「何も感じることが出来ず」まさに殺人鬼のロボットのようになっていくのであった。

さて、以前安保法案に関連して「徴兵制」が復活するのではないか「だから安保法案反対」というような事を法案反対派が「反対理由」としてスローガンにしていた。
それに対して賛成派は「徴兵制など絶対にありえない」という。その理由の一つには憲法がそれを許してないこと(憲法を無視するような法案を通そうとしてるのにね・・・)、そしてもう一つが「徴兵制で集められた兵隊など『使い物にならない』からである」という話。

その根拠というのがこの岡田真里さんという陸上自衛隊予備自衛官(現役なのね)のブログである。

岡田真理のほじくりコラム「徴兵されないか不安なみなさんへ。」

さてまずはこの方の衝撃的な文章

結論から言うと、みなさんが徴兵されることは絶対にありません。
なぜなら、「あなたたちは使い物にならないから!」です。
嫌な言い方してすみません。
でも、事実、そうなんです。

「使い物にならない」から徴兵制はない。

なんという分かりやすい理屈だろうか。
会社だってそうである、使いものにならない人を雇いたいと思うだろうか?思わないよね?

だから徴兵制はない。

のだそうだ。
その「使い物になる」か「ならない」かの分かれ目は「志願するか、しないか」だそうだ。

めちゃくちゃだよなぁ、、と思う。
よくこんなものを読んで「だから徴兵制はないのだ」という理屈になるのかが不思議。

まぁ僕も基本的には徴兵制などには絶対にならないと思います。理由はこれだけ「集団的自衛権」だけでも反対者がいるのに(たぶん反対のほうが多い?)、徴兵制などというのはあまりにも「時代に合わない」からである。ただし「経済的徴兵制」にはなると思うし、それは今の自衛隊ですら少なからずあるんじゃないでしょうか?違うかな、、自衛隊の隊員はすべて「国を守るため」という尊い意思を持ち志願してきた逞しいプロ集団なのだろうか、、、

話を「あの日、僕らは戦場で」に戻す。
くりかえすが、ここで集められた少年兵士たちは徴兵(または強制)によって集められた少年たちである。彼らは何年訓練をして戦場に立たされたであろうか?そして彼らが集められた理由はなんだったのか??

インタビューに答えた少年兵生き残りの老人がこうつぶやく

「友達が死んでも、相手が死んでも、そして自分が死んでも、何も思わんかった・・・」

戦争とは人間をそんな「無感情」の生き物に仕立てていくのである。逆に言うと人の心を持っていたら戦争などできないのではないだろうか。
「使い物にならない」人も「使われる」のだ、それが戦争である。


ムモンホソアシナガバチ

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再度山に登る道々、キノコセンサーが反応した。
「ん?きのこか??」
でもよく見ると黄色い個体が沢山群がっているではないか・・・
これはたぶんスズメバチ科のハチやなぁ。。
そう思いながら、巣に夢中で群がっているので安心して写真を撮った。
いったいコヤツらは何のためにこんなに群がっているのだろうか??
そしてコヤツらのねぐらはやはりこの「巣」なんだろうなぁ、、


「頭のよい子が育つ家」

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子供がまだ小さい頃、この本の存在を知った。

「お、これこれ!」

と思った。
見出しだけでは分からないが、サブタイトルに
「できる子は、子供部屋では勉強しない」
とあったからだ。
いや実は僕が中学校の頃、自室で勉強をしていてしばらくするとどうしても「息抜き」をしたくなる。
この息抜きは例えば「寝る」事であったり「ギターを弾く」事であったり。
そしてこの息抜きをするともう勉強に戻りたくなくなる、、、という「魔の誘惑」でもあったのだ。

で、仕方なく家のリビング(と言っても狭い狭い6畳の部屋)で親や弟がテレビを見ている横でコタツに身体をねじ込んで勉強をしていた。それだとめちゃくちゃ集中するわけではないが、雑音に惑わされながらも勉強が進んだ覚えがあった。

はて、これってやっぱ俺がダメ人間だからかな・・・

当時はそう思ったものだ。息抜きで仮眠をとるとバッチリ朝まで寝てしまうし、誘惑という悪魔に何度も何度も負けてしまう意志薄弱な少年であったことは確かで、他の友達が自室で夜遅くまで勉強をしている姿を想像しては自己嫌悪に落ちていたのでありました。

でもこれを読んで少し納得した。自分の学習方法は正しかったのだ、、と。

ただしね、この方法は頭の良い子は「より良い子に」、そしてそうじゃない子は「それなりに」なので、お気をつけ下さいまし、、あ、僕も「それなりに派」でありますです、、はい。


マツオウジの幼菌(菌露付き)

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松の木の切り株などからよく出ているキノコ。
確か以前、奈良キノコの会に参加した時には「切られてからしばらく何年かは出てくるが、それ以上になったら出てこない」と聞いたことがある。
しかし、少なくとも神戸で見るマツオウジはかなり古い切り株から出ており、とても「何年」と言うレベルじゃないと思うのだが・・・。

このマツオウジはまだ幼菌で、大人になると傘の大きさが20cmぐらいになるものもあるが、ずっと乾燥続きなのでこいつが大きくなるか、、の保証はない。
ちなみに頭から出ている液体のようなものは「分解水」と言ってキノコが木を分解していく時に出てくる「水」らしい。


カバイロツルタケ

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テングタケ科のキノコで食べることが出来るらしい。
でも僕の周りではこれを「食べた」と言う人を聞いたことがない。
と言うのもこのテングタケ科のキノコは毒成分をもっているものが多いし、もしかしてこのカバイロツルタケもさほど美味しく無いのかもしれないな、、、

でもここでは

歯切れ、舌ざわりがよく、くせがない。におい味ともに温和。特に脂肪質の料理と合う。天ぷら、野菜炒め、豆腐汁、けんちん汁、大根のおろしあえ。

だというから案外美味しいのかもしれないな。

似たキノコ

※ツルタケの仲間にはツバが無いことが特徴!!

・ツルタケ(火を通せば食用)
http://mushroomsindex.com/result0038.htm

・シロツルタケ(火を通せば食用)
※しかしドクツルタケやシロタマゴテングタケ(双方とも猛毒)と似ているので注意!!
http://toolate.s7.coreserver.jp/kinoko/fungi/amanita_vaginata_f_alba/index.htm

・ツルタケダマシ(有毒)
http://toolate.s7.coreserver.jp/kinoko/fungi/amanita_spreta/index.htm

・タマゴテングタケモドキ(有毒)
http://toolate.s7.coreserver.jp/kinoko/fungi/amanita_longistriata/index.htm


中国の軍事拡大は日本にとって脅威なのか?(下)

さて結局僕達「素人」は中国の軍事拡大(と言われているもの)が我々日本にとって(ここ重要)脅威なのか、それとも脅威じゃないのか、それとも少なくとも「今は」脅威と捉える必要はないのか、、それは分からないのです。

これはたぶん殆どの人が想像や憶測で物を言っており(双方の立場共に)、それを聞いている人がいてその人達はその「想像で物を言ってる人たち」の言葉を信じてまた物を言ってるのですね。

じゃあなぜそんな想像や憶測が出てくるのか?
特に安保法案に賛成している人の立場から言うとそれは「漠然とした恐怖」なのだと思う。そしてそれはふるまいさんの言うように「いくら口で説明しても納得してもらえないもの」なのであろう。

「だって南沙諸島では実際に埋め立てを始めてるんでしょ?」
「あれって土地を勝手に自分の領土にしてるってことじゃないの?」
「尖閣諸島だってそうだね、中国の領海侵犯がひっきりなしにあるじゃない」
「それって将来は『日本も自分の領土に」しようとするってことでしょ?」

さてこんな「恐怖」にいくら「それはありません」と言っても「いやあるはず、だって中国だもの」と言われてしまえば、もうそれ以上説得することは出来ないのです。

これは、簡単に言ってしまえば高所恐怖症の人にハルカスの屋上に登ってもらい、手すりの近くまで連れてって「怖くないでしょ、手すりがあるし」って言ってるのと同じ気がするんですね。
要は、「怖いものは、怖いねん」ってことなので。。

ただ安保法案賛成の人たちも「戦争をしたい」とか「徴兵制を敷かないと」とか「戦前日本人が持っていた道徳観を取り戻す」とか思っている人は多くないだろう。永江さんが言ってるように、相手を牽制するため、もしくは抑止力にするための集団的自衛権、という考えの方がかなりを占めているんじゃないか、と思う。

しかし、安保法案賛成の人たちの中には「嫌中、嫌韓」で、それらの国に対抗するため(舐められないため)に日本も集団的自衛権から始まる正式な軍隊を持たねばならない、と思っている人も少なからずいる。それはまだ分かる。向こうがやってきたら、やり返せ、という単純な思想だから。

それより分からないのは今の閣僚19人のうち15人を占める日本会議という極右団体が目指す戦前回帰の思想である。そんなアナクロニズムな思想を今の我々に押し付けられたらたまったもんじゃないのだ。そしてそんな国会議員がうじゃうじゃいる、という今の御時世、、いったいどうなることやら、、、


中国の軍事拡大は日本にとって脅威なのか?(中)

安倍首相が参議院の審議で「中国の軍事的脅威」を言及する前に永江一石さんがブログでこんな記事をアップされていました。

安保改正法を憲法に抵触するのに急いだ理由はコレだと思う

この記事中で永江さんは「中国の進出は日本の脅威である」と言うことを言われています。

いま、南沙諸島での埋め立てとか空港建設など中国の侵略が日常的に急ピッチで進んでいて、アメリカや、日本やオーストラリアに東南アジア各国から助けを求められてます。日本も中古の巡視艇を供与したりはしてますが・・。中国は自国の領土を主張してる範囲見てよ。これをもし実効支配されそうになったら、今回の法案にある「国家存立の危機」ということになり、集団的自衛権のために自衛隊を出すことができるぞという牽制ができたわけさ。

確かにここにある地図を見て「脅威を感じない」人はいないかも知れません。

なので「安保法案は必要」なのか?

永江さんは最後のほうでこんな文章を書かれています。

でもさ、中国もまじでいい加減にして欲しいよ。戦争に一番向かってるのはこの国だが、日本と同じように一人っ子ばかりだから実際に全面戦争には出てこないと思う。そんなことしてたくさん死んだらクーデターが起きちゃう。よって威圧的な態度で周辺諸国を押し切るつもりだが、今回の法案は、これに歯止めをかけたのではないかと思う次第です。

つまりは日本の安保法案が成立すれば中国の無謀な進出に歯止めがかけられるんじゃないか、、と。
しかしそのあたりは、はっきり言って誰も分からない、のですね。

さてここで「中国の脅威」とはいかばかりのものか?
ということにつきましてふるまいよしこ(@furumai_yoshiko)さんがこんなツイートをされてましたので、そのまま載せてみます。

最近のいろんな「運動」について、時々年長の、たぶんかつて60年代70年代の学生運動に関心を持っていた人と話をしていて、とても違和感があるのは、彼らは主義主張がまずあること。平和主義とかそういうもの。今は、若い「戦争に行きたくない」という人たちとつながっているからいいけど…

承前)今後どうなるのかなぁ、と漠然とした不安があります。というのも、若者たちの主張は「自分は〜したくない」という切実な意識から始まっている。だが、年長世代は「〜主義」から始まっている。そこがいつか、主義主張で別れてしまうのではないか、と。(続

承前)たとえば、この間もFBで書いたのですが、わたし個人は巷に流れる「中国脅威論」の論点のほとんどはアホか、と思っています。ですが、それはわたしが中国のムードを知っているから。「中国脅威論」を支えている人たちの多くが「不安」だからです。なので、「中国脅威論」は論破できないと思う。

承前)というのも、中国当局の物事の進め方は常に粗暴です。これは海外だけではなく、中国国内でもさんざん中国国内住民に対して行われているから、わたしも見ているだけで怖いです。その粗暴さに不安を覚え、「恐怖」を感じることは自然なことだから。逆に「脅威論」を唱える人はそんな恐怖を利用する

承前)つまり、「中国脅威論」を論破するということは、そういう恐怖をなきものにする、ということですが、わたしも責任取れない中国政府の粗暴さを見て感じる恐怖を、感じるな、という方が無理です。そういう意味で「脅威論」の論破は無理。でも、活動家の一部の方は「脅威論」自体を問題とみなし、

承前)中国の実情も知らないままに、平和主義的立場から「脅威論はダメでしょ」と主張する。あなた方の他者に対する優しさや思いやりは理解したいけど、それでは「恐怖」を感じている人は説得できません。その距離感をすごく感じています。

承前)ならば、どうすればいいのか。わたしにできることは、わたしが持っている知識と情報と分析を元に、「日本的に解釈された中国」を解きほぐして、日本で拡大解釈される「脅威論」のばかばかしさを理解してもらうことでしょう。結局、根拠のない「脅威論」って他者の恐怖を利用しているだけですし。

承前)ともあれ、思うのは、人間の「恐怖」って、本当に利用されやすいのです。良くも悪くも利用されやすい。もし、集合知を信じるなら、声をあげることが意味があると信じるなら、まずは自分が持っている「恐怖」と向き合い、理解することではないかと思います。それをやらずに集合知もクソもない。

でも、最後に言っておきますが、日本で流れている「中国脅威論」の根拠とか論調とか、ほとんどが思いつきやねじ曲げでできています。それを主張する人にとっては、聞く人が不安や恐怖を感じないと目的を達せないので、かなりの妄想も含めて吹聴されているのは事実です。

ちなみにふるまいよしこさんは長年中国(北京、香港)に住んでおられて、中国事情の第一人者であります。

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