チケット売り場で「向こうに見える船、あの3本ラインの船が仁王号ですわ」、、そう聞いていた僕は道草しつつもその3本ラインの船を目指して歩いて行った。
他にも幾つか遊覧船はあるみたいだけど、駅前で売ってたチケットはたぶんこの船のものだったか、、だとすると電車で来た人の多くはこの船に乗るんじゃないか・・・ちなみに他の遊覧船のチケットは乗り場の近くでしか売ってなかったのである意味不利じゃないか、、、。
まぁそんなことはどうでも良いのだが、、、
船に乗り込むと窓際の良い席はすでに埋まっており、左側前方に少し空いてるだけであった。
仕方がないのでそこに席を取り窓にほとんどレンズを押し当ててシャッターを押してみた。窓ガラスが反射して写真に映り込まないか試してみたのであった。
角度によっては光が写り込む可能性があるがなんとかなりそうであった。
しかし動き出して初めて気づいたことがあった。
圧倒的に船の左側が不利だということ。
チケットに遊覧するコースが載っているのだが、船の右側に島々が多いのであった。
「しまった」と思ったが後の祭り。
まぁ、左側からも何個か島が見えるので、なんとかそれで我慢しよう、、所詮は船だし、、
それでも「良いところ」から見る方法は有った。それは2階席に行くことであった。しかし2階席はグリーン席と言って別途600円を払わなければならない。ここまで来てそこをケチっても仕方がないのだが、事前には何も言わないで船に乗ってから「良いとこで見たい人は追加料金ね」というシステムが何とも納得できないのでやめといた。
説明によると、島の中で幾つかは震災によって崩れたところがあるらしい。
確かに岩肌が露出していてただでさえ海の侵食を受けているところが多いのに、地震で根底から揺らされたもんだからたまったもんじゃなかったであろう。それでも芭蕉がこの島々を見たのか、、と思ったら島のそういった景観も美しく思えてくるのが不思議である。
この島は仁王島と言ってたぶん仁王号の名前の由来にもなった島だと思う。
そしてその仁王島の名前の由来は「仁王像が葉巻をくわえて座っているように見える。」かららしい。
そう言えばそう見えるが、そう言われなければそう見えない(笑)
そして船は後半戦へと歩みを進め大きな島である焼島の周りをぐるりと回る。焼島には家々があり、解説ではそこには昔魚の加工工場があったという話であった。その家々を見て少し驚いた。
「津波の影響をあまり受けてないんじゃないか?」
この集落は外洋に面していて、津波は松島海岸よりも先にここにやって来たはずである。また家々も言わば海岸線の縁に並んで建っているのだ。しかもさほど新しいとは思えない家々が。新しい家だったら津波で流されて立て直した、という可能性があるが、そこには遠目ではあるがそのような家は見当たらなかったのでした。
もしかして津波はこの様に途中にある島々は島の周りを迂回して最終地点の「ある程度幅のある陸地」にぶつかって初めて大きな力を発揮するのではないだろうか、、、
そんな風に考えていたら港に着いた。
まだ仙台行きの電車に乗るには早かったので、その辺りを散歩することにした。